ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

息子の喘息発作で感じた田舎暮らしの厳しさ

田舎暮らしというと、育児にはよい環境でうらやましいと言われることが多い。確かに都市部での生活しか知らなかった私も、育児にはのんびりしていていいんじゃないかと漠然と考えていた。確かにそういう面もあるけれど、利便性とか暮らしやすさを考えると、まだまだ都会慣れした思考の私には乗り越えられないこともある。そのうちの1つが医療の受けにくさだ。

先日、息子が喘息の発作を起こした。日本でも何度か入院をしたこともあり、フランスに入国した翌日も発作を起こしてリヨンの病院に駆け込んだこともあった。毎回さほど重症にはならないものの、風邪をひくと時々ひどく咳き込んでしまうことがある。地域にはかかりつけ医と呼ばれる医者が2人くらいいる程度だ。あとは歯医者と看護師、マッサージ療法士、助産師が地域で働く医療人材だ。眼科、耳鼻科、矯正歯科、婦人科そのほか大きな病院にかかるには何10キロも離れた隣町へ行く必要がある。そして、だいたいそういう専門医は予約を取れても半年後や1年後。先日、娘の歯の矯正のための初診で予約を取ったら、なんと1年半後だった。初診というと断れれることも珍しくない。しかも、地域のかかりつけ医はだいたいいつ行っても研修医が代診していて、なんとも頼りない。

今回もかかりつけ医に連れていくと、見た目も頼りない若い青年の研修医の日だった。「うーん、喘息かなぁ、どうかなぁ」と何度も首をかしげていて、「まあもっとひどくなったら救急診療にかかってください」と言う。「でも、ひどくなってから救急のある隣町まで行くと片道約1時間。移動中何かあったらどうしたらよいのでしょうか?」と聞くと、「もっともだ」という顔をして「もう今から行ったほうがいいですね。」という。そんな会話をしているうちに息子の症状がひどくなり、呼吸もままならなくなった。そこで、その診療所に救急車を呼んでもらい、隣町の病院へ呼吸の様子を見ながら連れて行ってもらえることになった。その日は幸い夫が家にいて救急車のあとを追いかけてきてくれた。自分ひとりで雪が残る街灯もない峠道を咳き込む息子を連れていくなんてことを想像しただけで、無力感を感じて悲しくなった。

救急車と行っても物理的な距離は縮められず、片道50分ほどかかってやっと病院に着いた。窓のない救急車でくねくね道を疾走したせいで、私も着いたころには顔面蒼白でげっそりしてしまった。息子は吸入処置をしてもらうとすぐに落ち着いたが、その日は様子見のため1泊入院となり、私も着の身着のままで付き添った。

実はフランスに来てから私もちゃんと医療を受けていない。定期健診もそのうちと放っておいて、まだ何も手続きをしていない。日本もそうだけれど、保険で受けられる健診なんてたかが知れていて、気軽に人間ドックが受けられる場所も近くにはない。日本のようにいろいろな科を総合的に検査してくれる場所が果たしてあるのだろうか…とリサーチも足りていない。いっそのこと帰国のたびに人間ドックにかかったほうがよいのかもとさえ思ってしまう。私も夫も何があってもおかしくない年齢だし、よくないとは思ってはいるものの...。

日本でも山間部などのへき地での医師不足は深刻な問題だと聞いたことがある。フランスもその点では同じで、若い医師を派遣する制度やNPOが介入している地域などがあるらしい。ただ、こうした場合にカバーされるのはプライマリケアという、風邪をひいた時、骨折した時のような対応で、長期的な治療や専門的な治療は難しく、私にとってはなんとも心もとなく感じてしまう。日本で恵まれすぎていた環境にいたせいで、多くを求めすぎなのだろうか。友人夫婦の息子は生まれつきの病気のせいで、定期的に受診する必要があるため、都市部に住まないとやっていけないと話していた。

とりあえず、今回の出来事で予防と早期発見のための家族の定期健診の課題と、息子の喘息の専門医探しをクリアしなくてはと思っている。