ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

合理主義のフランス保育園

育児関連の話題が続いているのだけれど、子供がいない時こそ子供の話が書きたくなるもの。さて、我が家は娘は日本育ちで日本の保育園に0歳から小学校入学まで通った。その時の想い出は、本当に仕事と家事と保育園が全てだった。その位「保育園」が生活の一部を占めていた。というのも、毎日の膨大な量の洗濯、おむつや着替えなど沢山の持ち物の準備、連絡帳の記入、送迎のやり繰り。『保育園に通わせること』がまさに私たち家族の最優先事項であり、それに合わせて仕事の時間をやり繰りしていたような気がする。その位、保育園に通わせることの親の負担が大きいということだ。

そしてフランスに来てから息子が現地の保育園に通うことになった。前回の記事にも書いたように、私は未だ無職で家で育てることももちろん可能だったのだが、イヤイヤ期で後追いが激しい息子と二人きりでいることは双方に不健全だと思い、週に数日はお願いしていた。

フランスの保育園で一番びっくりしたことは、なんといっても「持ち物ゼロ」である。といっても着替え一式は常にカバンの中に入れておいたけれど、ほとんど着替えてきたことがない。お昼寝にいちいちパジャマに着替えない。おむつは園の紙おむつを使用、エプロンも園のタオル製の物、夏の暑い時にはサンダルと帽子を持ってきてくださいと言われたこともあったけれど、忘れた時は園の物を貸してくれた。お昼寝のお布団やシーツ類も保育園の管理だった。ちなみに保育園には清掃担当の人材がいて、保育士が園を掃除することはない。

日本で毎日おむつや汚れ物ビニール袋にに名前をマジックで書いたり、エプロンや着替えを毎日の洗濯で必死に揃えていた日々は何だったのかと思う。当時は当たり前だと思ってやっていたけれど、こんなやり方は誰も得をしていないじゃないか。

息子の園は行事はなかったが、月に1回希望者だけ親も参加できる読み聞かせの時間があったり、不定期にアートのワークショップが開かれる程度だった。

連絡帳は一応あったけれど、普通のノートに保育士さんがメモ書き程度に食事や昼寝のことを2-3行書いてあったのみ。親からは必要な時だけ記入する。

お誕生日会は自分でケーキを持参して、ランチタイムやおやつの時間にお祝いしてもらう。日本の保育園の時のように手作りバースデーカードとかはなかった。

給食は、業者が毎日運んでくるようで園内にキッチンはない。おやつは市販の物やパンにジャムを塗った物など簡単なものだけれど、うちの園はオーガニック食品に統一していた。

と、何を於いてもミニマムかつ合理的なのだ。膨大な持ち物の管理で負担が大きいのは保育士だって同じなのだから、誰もが使える備品の衛星管理を徹底すれば良いし、清掃や洗濯の専門人材を用意すればよい。

日本の保育園に心からお勧めしたいのは、保育以外の業務をがっつり削減することだ。「親にとっても保育士にとっても負担をかけないこと」をそろそろ考えていくべきだ。育児は手間暇をかけること=愛情をかけることではない。双方の負担を減らせばこそ、子供と接する時間も余裕も増えるのだから。

日本では、保育園に子供を預けること」は一昔前からかわいそうなことと思われてきたし、本来育児は家庭でするものであって、それがどうしてもできない家庭のために保育園がある。そんな非情なことをする親を罰するように、せめて手作りのシーツを作らせ、せめて行事には出るように促され、せめて遠足の時には手作りの弁当を作るように、そんな暗示にかけられていたように思う。同時に、保育士の先生も手間暇をかけて手作りのバースデーカードを作ってくれたり、行事には親たちを喜ばせるために沢山の工夫をしてくれたり、連絡ノートには綺麗な字でぎっしりとその日の様子を書いてくれたり、手間暇の愛情を注いでいることを示してくれていたし、それが当然のように感じていた。

いまの日本で保育園と保育士の数を増やすことが最優先事項なのだとしたら、鍵は絶対に「合理化」だ。疲れ切った身体と心でおむつにマジックで名前を殴り書いていた日々がいつか成仏しますように。日本の保育園事情がよい選択をしていくことを切に願う。