ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

#子育て政策おかしくないですか 日本の保育園

最近、保育園無償化の動向についてネット上で情報を追いかけている。ハッシュタグ #子育て政策おかしくないですか を追うと多くの子育て世代が声をあげているのがわかる。個人的には、もう日本の保育園に預けなければならない事情もないのだけれど、他人事とは思えない、ほっておけない想いが沸々と沸いてくる。

私が日本の保育園事情の厳しさに直面したのは、10年前。フランスから東京へ、夫とともに生後間もない娘を連れて移住した時だった。私はすぐにでも就職したかったので、資格試験の勉強をしていた夫に娘を見てもらってとりあえず派遣職員として就職した。そして夫も外に働きに出られるようにと0歳児保育に申請した。そこでポイント制なる制度を始めて知った。フルタイム勤務者の親にそれぞれ満点。パートタイムは減点。自営業も減点。学生も減点。すでにどこかへ預けていると満点。今自宅で育児をしている親は減点。家庭に介護者がいると加点。75歳未満の両親と同居していると減点。

というもので、我が家の点数は満点にはほど遠いものだったが、娘を預けなければ生活が立ち行かなくなるというシナリオは現実に迫るものだった。ポイント制は今も多くの自治体が採用している基準だと思う。

申請書の空欄に海外から帰国したばかりで生活基盤がないこと。両親の就職は喫緊の課題であること。などを小さな字でぎっしり書いて出したのを覚えている。こうすれば事情を汲んでくれるのではないかとかなり楽天的に構えていた。しかしながら、結果はやはり不採用で、通知書を持って市役所に相談に行ったのを覚えている。そこで初めて認証保育なる制度も知り、何とかリタイヤした保育士さんが運営しているとても家庭的な園にお世話になることができたのだった。

そこからまた実家近くに引っ越しをすることになった。すると自治体が変わり、待機児童として並び直しになった。当時は各園の該当するクラスに50名以上の待機児童がいた。仕方なく認証保育園に預けたが、その園では保育料に補助が出る代わりに、給食代、年2回の冷暖房費、入園料、延長保育料と私の時短勤務の給料の半分ほどが飛んでいった。ワーキングプア、働けば働くほど首がしまっていくとはこのことだと、なぜ日本に帰ってきてしまったのかと後悔もした。ただ、これも認可保育園に入るまでの一時的な出費だと腹を決めていたのを記憶している。

そして、娘が2歳になったころ、近所に認可保育園が開園するという話をたまたま聞きつけ申請したところ入園できることになった。娘の保育環境より、何より保育料負担の軽い「認可保育園」に入れることが最優先事項だった。近所といっても自転車で10分。雨の日は雨具を着せたり、車を取りに戻ったり、両親にお迎えを頼んだり。その保育園は保育士の先生方には本当によくしてもらったのだけれど、もしも選ぶことができたのなら選ばなかったというのが本音だった。今でも娘の保育園の想い出は強烈に残っている。

その園は認可保育園であるけれど、私立園であるということから、独自の保育方針を前面に押し出していた。1月に開園した園なのだが、冬の真っただ中に「半そで半ズボン裸足保育」というのである。子供の病気は勤務状況にかなり影響する。ただでさえ綱渡りの有給休暇や病児休暇に、変なリスクを負いたくない。日中はほとんど外で遊ばせるという。まだおむつもとれていない娘が鼻水をたらしながら寒空の下、半そで裸足で砂場で遊んでいる様子を見ていて本当に切なかった。その冬はよく熱も出したし、風邪もひいた。一度病み上がりに「今日は風邪気味なので、外で遊ぶときは上着を着せてくださいますか?」と頼んだところ、主任の保育士の先生が現れて「保育方針が合わないということなら、他の園へ」と言われた。藁をもすがる想いで入れた認可保育園でもどうしてそんなくだらないことで闘わなければならないのか。他の親は何も思わないのか。と憤り、市役所の保育課へ相談の電話をかけたのを覚えている。結果、市から指導が入り、薄着で過ごすかどうかはその日の体調や親の判断で決めてよいことになった。その園とは、その後も保育方針を巡って、何度か園長や主任保育士とバトルをした。

他にもこの園は行事が多かったし、家庭訪問もあった。持ち物もかなり細かく指定されていた。お昼寝用シーツなどは手作り。おしりふきは禁止で、布おむつをお湯で濡らしたものを使用する。外遊びが多いので毎日の洗濯は上下3着ずつくらいあった。

けれど、主任の先生が辞める時に、「一生懸命になっていたばかりに、いつも一方的に園の方針を押し付けてしまっていたかもしれません。ごめんなさい。でもお母さまのように声をあげてくれる方がいて、園も少しずつ成長しています。ありがとうございます。」と頭を下げられて、二人で涙を流したのだった。

現場の保育士の先生も激務の中、細かい指導方針やルールに縛られ必死だったのだと思う。週末の保育以外の行事も多かったし、先生達もそういえば冬は半そで裸足だった。結果、毎年毎年職員は変わり、入園から卒園までずっといた先生は1人くらいしか居なかったのではないだろうか。主任の保育士さんも保育士を守りきれない不甲斐なさがあったはずだ。

娘が保育園を卒園したのと入れ替わりに、息子が保育園に入ることになった。ポイントは夫婦ともに満点。満を持しての申し込み。実はその頃、住んでいた自治体は猛烈な勢いで保育園を増設し、待機児童ゼロを実現していた。息子の時には2-3園を見学し、娘の時の二の舞は踏まないと、保育方針などを吟味して、自宅から徒歩圏内に3園も希望を出すことができた。しかも、第一希望に入ることができた。

その園は預けていて親のストレスが少なく、親の負担を最小限に抑えてくれていることが分かった。着替えもほとんどなく、洗濯は驚くほど減った。通常、検温で37.5度を越すとすぐに迎えに来てください!と言われる園がほとんどなのだが、その園は37.5度以上で連絡と様子見。38度以上で呼び出しみたいな緩和ルールがあった。行事も年に2回ほどの最小限。園長は保育学会などでも活躍してる人で、保育士、保護者、子供のそれぞれがwin-win となる保育を目指していることが分かる。何よりも自宅から徒歩圏内で、送り迎えの負担が激減した。

それでも、ワーキングマザーの事情はかなり厳しい。延長保育を使っても、都心までの通勤に片道1時間以上。時短勤務をしなければ回らない。管理職にもなれなかったし、海外出張も断らなければならなかった。年4日の無給の病児保育休暇を1時間ごと細切れに使っても、有給休暇は一日も余らなかった。小学校に入った娘の授業参観などの行事にも全部は出られない。毎朝5時に起きて、夜ご飯の下ごしらえをして、夜は子供たちが寝静まってから洗濯物を片付けて。すぐに子供たちの病気をもらって体調を崩した。勤務時間が違う夫は掃除などサポートしてくれたけれど、ほぼワンオペ育児だった。思い返せば青春時代の部活のように、清々しく駆け抜けた日々ではあったけれど、職場環境についても、保育園についても、絶対にもっとよい方法があったはずだと思う。

まずは、必要な子供が保育園に入れるということが最優先。移転した人も前の待機時間が移行されるべきだ。そしてその預け先に選択肢があれば尚良い。保育園はあくまでも親が働くのをサポートする立場であって欲しい。子供が安心して楽しく過ごせる場所なら何も特別なことはしなくてもよいと思う。そして保育士さんの負担を軽くし、報酬面ではもちろん、専門家としてやりがいを感じることができる職場であって欲しいと思う。

ポイント制を採用している自治体では、すでに保育園に入ることができているのは、両親ともにフルタイム勤務で所得が安定している世帯がほとんどだ。彼らは無償化を望んでいるのか。無償化だから子供を産もうという気になるのか。そもそも保育園に入れないのなら産む気にもなれないし、働き育てることもできない。政府の保育園無償化政策の的外れなことがよく分かる。そしてこの子育て政策で何より重要だと思うのは、当事者以外を巻き込むことだ。私はもう当事者ではないけれど、働きながら産んで育てるという当たり前のことがこんなにも難しい社会に目を向けていたい。

次回はフランスの保育園事情について書いてみたい