ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

私の居場所

ここのところ、月に1回は夫の実家があるリヨンに行っている。リヨンには義姉一家も住んでいて、誰かの誕生日が必ずあるためだ。ここからすると大都会の都市へ車を走らせると2時間くらいで行ける距離なのだけど、土曜日に1泊して日曜の夜に帰るということが多い。夫と義父は長年微妙な関係にあり、いつもそのせいで私は微妙な空気が張り詰める中、義務的に家族行事に参加していたのだけれど、この夏からすっかりその問題が解消し、最近は実家に行くと実に幸せな家族時間が待っている。夫も嬉しそうだし、子供たちもおじいちゃんおばあちゃんやいとこたちと過ごすことが楽しみになってきたようだ。

リヨンには私の学生時代からの友人が2人住んでいて、かつてパリに暮らしていたときから会ったりしていたのだが、せっかくフランスに戻ってきてもお互い子持ちで仕事があったりで、なかなかじっくり会うことが叶わずにいた。

今回のリヨン行きの機会に孫を義母に預けて、友人達と会う段取りを組み、短い時間ではあったけれど、日本人大人女子3人だけでお茶をした。二人に声をかけるとき、ひょっとしたらお邪魔なんじゃないかなあと気を使ったのだけど、勇気を出して誘ってみたら二人とも二つ返事で駆け付けてくれた。

夫の愚痴やら子供たちの教育のこと、将来のこと、中年の自分たちの身体のこと、外国人としてこの国で暮らしていくこと、仕事のこと、話題はとりとめもなく、ただ私たちが母として妻として日本人として共有できるいろんな話をした。とても楽しくすっきりとした気持ちになって帰路につき、その余韻はしばらく続いた。次回はホテルに泊まって女子会しようね、YouTubeでカラオケしようね、と約束を思い出したりして。

ここには日本人もいないし、彼女達と共有したようなことを話し合える友達はいない。けれど、そこまでこういう時間を渇望していたわけでもない。いつでも彼女達とすぐ会える関係なら、実際はそんなに交流しないかもしれない。だいたい日本にいたって旧友と会うのは年に数えるくらいだし、実際はSNSなどでお互いの暮らしを知った気になっっていることの方が多い。時々会って濃く話すくらいの距離が心地良いのかもしれない。

最近、情報収集のためによくTwitterを見ている。昔は顔の見えない相手につぶやくこのツールの良さがあまり分からなかったのだけれど、今はとても良いと感じる。自分を知らない人たちに語りかけると共感する人たちがむくっと出てくる。リアルライフに共有できる相手がいなくても、自分の考えを共有できる知見がある人がいると嬉しい。例えば音楽の趣味話などは特に。自分を知らない相手だから気負いなくつぶやくことができる。時代のせいなのか、自分が何人もいると感じる。いろんな顔を持つということなのかもしれないけれど、そもそも人っていうのはそういうもんで、統合している自分がしっかりといればよいんだと思う。ブログやTwitterなどのSNSも私の居場所のひとつとなっていて、日本でのリアルな居場所を失った私のアイデンティティが保たれていたのかなあなんて考えてしまう。

自分の多様化はこれから時代とともにさらに進んでいくのだろうけど、世界が広がり、インプットとアウトプットのバランスが取れるならそんなにリスキーなことだとは感じない。ただ居心地のよい世界にだけ居ると、リアルライフがつまらなく感じることもあるかもしれないし、他人に興味が持てなくなるかもしれないなあとは思う。特に子どもたちがこういうツールを使い始めたら気を付けてもらいたいなとだけ思った。

リアルでもヴァーチャルでもインナーでも居場所は必要。居場所はどこにでもある。