ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

アルバニアから来た彼のこと

私が住む町には難民の受入れセンターがある。CADA (Centres d'Accueil de Demandeurs d'Asileと呼ばれる施設は、NPOのようなアソシエーションが運営していて、資金の一部はおそらく政府から委託を受けているのではないかと思う。ここは、難民申請をした人たちが、政府の審査を受ける間一時的に住まう住居で、申請手続きの支援や子どもの教育支援などの生活支援も行っている。人口3000人にも満たない町に、アフリカや中東、東欧などから来たあらゆる国の人たちが一時的に滞在することになる。審査はおそらく1年以上程度かかるようで、認定された人々は仕事を求めてもう少し大きな町へ越していくらしい。非認定となった人たちは国に返されるのか、また別の国へ行くのか、詳しい事情はわからないが、一度結果が出てしまうとこの施設には住めなくなるようだ。

娘の学校に昨年末からアルバニアから来た一家の子供たちが通っている。当時は一言もフランス語を話せなかった子供たちはみるみるうちに言葉を習得して、今は地元の子供たちとごくごく普通に遊んでいる。同じく転校してきた娘は、もともとフランス語ができたけれど、逆にフランス語ができない子とどう接してよいのかわからなくていつも遠巻きに見ていた。

娘を学校に迎えに行くと、校門に中学生くらいの彼が妹を待っている。あとでわかったのだけど、妹ではなくて姪っ子にあたるようで、つまりその一家は2世代でこちらに来たらしい。

私がフランスに7年暮らした後、日本に帰国して就いた仕事は難民支援の仕事だった。主にアフリカのフランス語圏からきた難民申請者の通訳や生活支援を行うポストで、その仕事を通じて初めて難民の実情を知ることになった。実のところ、彼らが本当に迫害を受けてきたのか、国に住み続けられない状況にあるのか、正確には判断できない。それに、日本に定住難民として受け入れられるのは年にたったの数人で、ほとんどの難民申請者は非認定となり日本での定住は実現しない。また、たとえ認定されてもとても厳しい暮らしが待ち構えている。

フランスでは日本よりも受入れ数は多いものの、シリア危機などの影響で難民の流入はヨーロッパ全土の大きな問題で、国民も彼らの受入れにはシビアになっている。しかし、そんな難民に対する厳しい社会情勢はこの町ではあまり感じない。昔からユダヤ人の子供たちを匿ってきた歴史のある寛容な人々は、とても誠実に彼らと接していると感じる。

話は戻って、アルバニアから来た中学生くらいの彼は、なぜかうちの3歳の息子が大好きなのだ。まだフランス語がうまく話せない息子を見つけては、抱き上げてくれたり、公園で何時間でも遊んでくれたり、水を飲ませてくれたり、あの手この手で息子を喜ばせようとしてくれる。彼のご両親もうちの息子を見るといつもハグをして、眼尻を下げて何やら話しかけてくれる。背も身体も大きくて、昔のガキ大将みたいな風貌の彼に、息子は最初はおっかなびっくりだったのだが、最近は彼を見つけるとがしっと彼の太ももにしがみついて離れない。公園でほかの子供たちが沢山集まると、片言のフランス語でみんなをまとめて鬼ごっこなんかを主催してくれる。そこでも一番小さな息子を少し大きな子供たちから守るように遊ばせてくれる。

フランスでは公園に必ず親が付いてくる。でも彼は親代わりに自分の姪っ子たちを引き連れて遊びに来る。彼の国ではごく当たり前のことなんだろう。子どもたちもごくごく自然に年長の彼の言うことに従って楽しそうに遊んでいる。子ども同士が小競り合いになって親が間に入るところ、彼がみんなを取りまとめてくれているのを知っているのか、親たちは公園のすみっこでスマホなんかをいじったりして。

もしかすると、彼の一家がここフランスで認定を受けられる可能性はあまり高くないかもしれない。しかし、どんな事情であれ、思春期にある彼が祖国を離れて連れて来られたのは事実で、彼がこの先どうなるかわからない場所で力強く生きていることは確かなことだ。彼には明るい未来をつかみ取って欲しい。移民となっても祖国に帰ることになってもたくさんの人に愛されて信頼されて欲しい。全力で息子と遊んでくれる彼を見ていると胸がしめつけられそうになる。