ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

フランスでリストラ

ひょんなことから10年以上前にパリで働いていた時の同僚とネット上でつながった。SNSなどで繋がっている人たちもいることはいるのだが、そこまでの仲でなければ彼らとの時間は止まったまま。どんな風に歳をとっているのかも、近況も知らない。

私はパリで数年勤めた企業を不本意な形で退職することになった。いわゆるリストラなのだけれど、当時の社長の個人的な恨みを買ってしまい、自分の結婚式の休み明けに解雇を通達されるというかなり酷い仕打ちを受けた。しかも、フランスでは労働者保護の観点からそうそう解雇はできない。解雇が可能となるケースには経済的な理由での解雇と、従業員自身が重大なミスを犯した場合の2パターンがあるが、経済的な理由解雇の人数制限が企業ごとに設けられていて、すでに数人解雇した後で枠がなくなったのか、後者のケースである重大ミスをでっち上げられた。

同僚が数人解雇されていく中、次は自分の番でないかとは感じていたのだけれど、夫と日本へ行くことを決めていたし、ずっと勤めるほどの思い入れもなかった私は、それならそれでと悠長に構えていた。

ただ、自分がその当事者となった時、またありもしないミスをでっち上げられた時、これは泣き寝入りできないと腹をくくった。友人のつてで弁護士を紹介してもらい、解雇はされても名誉を守るために闘おうと思った。

当時、日系企業にいた私は無能な駐在員の上司達にうんざりしていたし、彼らのフランス人従業員には物が言えない管理能力のなさ、反対に日本人従業員への要求の高さにも腹を据えかねていた。年末の給与交渉の面談でも、減給が嫌なら辞めろというハラスメントを受けていた。少し大人になった今の私ならもう少し波風を立てずに対応できたのかもしれないけれど、フランス人や男性に対してなら絶対に放たない言葉、日本人の若年の女性だから浴びせられている言葉に不当さを感じていたし、なんとなく先に辞めさせられた人たちの想いを勝手に背負っていたのかもしれない。

しかし事態は急変する。解雇前の面談というのが何度か行われるのであるが、その直前に妊娠が発覚したのだ。フランスの雇用法では妊娠中はいかなる理由でも解雇できない。ただ、公然に解雇を言い渡された私が居残るというのもまたおかしな話だったし、日本への帰国が決まっていたので自ら辞職するより解雇され賠償金を貰える方がよいと考えた。ただ。職業上のミスが原因の場合は、従業員のミスなので退職金は望めない。

解雇前の面談は、通常は従業員の権利を守るため、労働組合員の同席で行われる。すでに同席を同僚にお願いしていたのだが、当日私はそれを断り、一人で面談に臨んだ。

形式的に「次の理由であなたを解雇します」というおそらく弁護士と練った文章を読み上げる社長と人事担当者を遮り、私は次の言葉を言い放った。

「あのう、そこまでして私を解雇したいのはよくわかりました。でもこれらが嘘だというのはご存知でしょう。実は私は妊娠しています。法律上解雇できません。診断書をご覧になりますか?もしも解雇されたいのなら、これから賠償金の交渉を始めてください。」と。

折りたたんだ診断書の紙を開いて見せようとする私を社長が遮った。「いや、見せなくていい。それより、大事な時にストレスを感じさせてしまってすまない。」長らく私を敵対視してきた社長から出てきた初めての思いやりのある言葉だった。その言葉で、やっと対等に話ができると思った。その後は、私の優位で交渉が進んだ。その時のタイミングで私たちの所に来てくれた娘はまさに救世主そのものだった。今思い返しても、偶然と必然の妙を感じる。

ただ、これらのやり取りの実情については何の記録も残らず、もちろん同僚たちは知る由もなく日々が過ぎていた。そういえば、リストラがあったのも11月くらいだった。冬の寒さとつわりの感覚、何かに守られているという確信、自分が正しく新しいことに向かって進んでいるという想い、なんかそんなようなこと達が入り混じった想い出がよみがえる。

つながった同僚のお陰で、10年前から変わらず勤めている同僚たちが沢山いることを知った。当時の駐在員はとっくに日本に帰っているだろう。年末にパリに行くついでに彼らの顔を見てみたい。

雪国暮らしの雪辱

ここは雪国だ。日本の東北地方のような豪雪地帯ではないけれど、標高も高く頻繁に雪が降る。今年も11月の初めから雪が降り始め、車のタイヤを冬用に急いで交換してもらった。山の天気は変わりやすいので、晴れ間が見えれば雪はさーっと溶けてなくなることもあるので、冬の間ずっと雪があるというわけでもない。

さて、雪国暮らし2年生となった私は、去年初めてのことだらけで苦い思い出ばかりの雪シーズンを楽しく乗り切りたいと密かに心に決めている。去年は引越してきたばかりの1週間後に大雪が降り始めた。しかし、自分はともかく子供たちに雪用の防寒具はなく、防水でないダウンジャケットはいつもびしょびしょだったし、靴も雨用の長靴しかなかった。娘は長靴も持っていなかったかもしれない・・。まだ車で自由にあちこち行けるほど運転に慣れてもいなくて、もちろん雪道の運転なんかほぼ未経験だったし、そもそも子供用の洋服がどこで買えるのかも知らなかった。今思えば、近くの非営利団体のチャリティーショップでは古着が売っていて、1シーズンしか着ない子供の服なんか手頃に手に入ると知ったのは、ずっと後からで、もっと周りの人に聞いてみたらよかったのだけど・・。そこでAMAZONやら通販サイトで子どもたちの冬用グッズを一式揃えたのだった。

私や夫はこれから届く船便の中に長靴やスノーブーツが入っているからと、履いてきたスニーカーで年末までなんとか凌いでいた。思い出すとやはり惨めだった。

程なくして、2台目の車を手に入れて、私も子供たちの送り迎えに車が使えるようになった時。私はオートマしか運転できないので、夫が苦労して手に入れた予算内のオートマ車の性能はまあそれなりで、坂道を上る馬力が足りない。ちなみに山間部の集落であるこの辺りは坂道だらけ。その冬「雪道の登坂で止まると車は登れなくなる」ということを私は初めて知る。何度もアクセルをふかし、タイヤは空回りし、冷や汗をかきかき、怖い思いをしたこと数知れず・・。ただ、田舎の人たちはいつも手を貸してくれて車を押してくれたり、代わりにハンドルを取ってくれたり、何度も助けてもらった。

昨日、本降りになった雪を見て、夕方のお迎えに備えて駐車場から車を外に出しておこうと外に出た。我が家の駐車場は下った所にあるので、雪が降ると駐車場から車を出せなくなってしまう。これは去年学んだので、本降りになる前に幹線道路に路駐するというのがこの辺りの流儀なのだ。

2年生なりに気を利かせたつもりが、時すでに遅し、駐車場から出る坂道でタイヤは空回り、アクセルをふかしたとたん車体がクルっと1周向きを変えた。パニックになった私は駐車場に戻ろうとバックにギアを入れてアクセルを踏んだら、入口の塀にドンっとぶつけてしまった。完全にあわわわ・・状態の私に、近所のおじさんが声をかけてくれる。「ブレーキを踏まないで後ろ向きに一気に上ってごらん。あとはハンドルをとれば勝手に滑ってくれるから・・」と。でも自信喪失の私はおじさんに「すみませんが、私の代わりにやってもらえませんか?」と運転を代ってくれと懇願してみた。するとおじさんは「あー代ってあげたいんだけど、僕運転しないから・・」と。また頭の中が?だらけになった私に「前から押してあげるからアクセルを踏んで」と引き続きアドバイスをくれたので、言われた通りにやってみたら、事なきを得た・・。ぶつけた場所もバンパーだったので無傷だった。

車を動かすついでに郵便局に行こうとしていた私は、車を元の駐車場に戻して、多少動転したまま郵便局まで歩き出した。郵便局で用を済ませてポケットに手を入れるとあるはずの家の鍵がない。唯一のフード付きダウンジャケットのポケットがホックで止めるタイプで、雪道を歩くと物が滑り落ちるのだ。去年もそれで携帯を落として壊したのだった。携帯は家に置いてきたし、これで鍵がみつからなかったら、私はどうするのか・・と吹雪の中また頭が真っ白になる。とにかく来た道を凝視しながら帰ると、家の前に鍵が落ちているのを発見した。

と、雪国2年生はまた苦い幕開けとなった。まずはポケットがちゃんと閉まる雪用の防水ジャケットを買おう。スキーウェアを普段着にしている村人もたくさんいるけど、私にとっては「それはちょっと」な感じなので、ニューヨーカー的な機能的でおしゃれなやつを探そう。それから雪が降りはじめたら駐車場から車は早めに出そう。それから、困ったときは周りの先輩たちにアドバイスを仰ぎ助けてもらおう。

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廃校アート体験 ~その2~

近くの廃校でのコンテンポラリーアートの展示の続き。

 tkchbn.hatenablog.com

 こちらの展示会場では、アーティストの女性(おそらく30代後半くらい)が住み込んで随時展示を増殖させたり、配置を変えたりと、何回来ても違った展示になるように工夫がされている。そして、ここは住民たちが集い語らい、食事をしたり、時には家にある物を持ち寄って展示品に加えてもらったり、ワークショップが開かれたりと、常に流動的にこの地に存在している。

ある週末にメインの展示である黒焦げたピアノのコンサートがあるというので、家族で参加した。普段は展示品なので手を触れることはできない。演奏するのは私たちの友人の一人。そして夫もトランペットで参加しないかと誘われていたのだ。

演奏はまったくの即興。黒焦げたピアノの鍵盤は動かないものもあるので、中の部分(なんと呼ぶのだろう・・?)を直接棒で叩いたり、紐でくくって引っ張ったり。部屋を暗転にして、演奏が始まる。子供たちは暗くなっただけで、目を輝かせて音に耳を澄ませてその空間を楽しんでいた。

友人の演奏はものの5分で終わり、その後は自由にその場に居合わせた人たちで演奏を楽しんだ。3歳の息子と同じ歳の友人も、黒焦げのピアノを手を真っ黒にして触り音を出す。10歳の娘はトランペットで恐る恐る音を乗せてみる。夫はドラムのようにピアノを叩く。マラカスを振ってリズムを取る人。

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みんなで暗がりの中、黒いピアノを囲んで、息をのむように、音を作り上げていく。この即興タイムも長くは続かず、夫はもっと演奏したいと残念がっていたが、その場にいた人たちと共有し作り上げた音楽は今でも耳に残っている。この出来事はずっと私の中に残るだろう。この廃校を訪れる度に思い出すんだろう。

今日は雪が降っている。ここではないどこかに来てもう1年経つ。

 

廃校アート体験 ~その1~

先日終わった秋休みの間、近所にコンテンポラリーアートの展示があると聞いて訪れてみた。この場所は、かつて名門のインターナショナル中高一貫校があった場所で、今は中国人のアーティストに買われ公園として地域に開かれている、らしい。この高校は、かつて全国また海外から生徒が集まっていて、この村に活気を与えていたという。ジェーン・バーキンの娘、ケイト・バリーもここの出身だったとか。しかし、この学校で数年前に女子生徒が男子生徒により殺害されるという痛ましい悲劇が起き、世界中で大きく報道されたそうだ。(かくいう私は知らなかったのだけれど)それが原因というわけではないらしいが、経営難となり、この学校は廃校となってしまった。

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窓から校舎を覗くとまだ机や椅子がそのまま。理科室だった場所なのか、骸骨が見えていかにも何か出そうな雰囲気を醸し出していた。

ところで、この町を歩いていると時々こんな質問をされる。「こんにちは。あなたは○○(学校の名前)に住んでいるのね。」と。「いえ、違います・・」と毎回答えながら、なぜみんなが揃いも揃ってそんな質問をするのか不思議でならなかった。この村ではほとんどいないアジア人の私。どうやら、住民たちは私をその廃校を買い取った中国人だと思っていたようなのだ。友人にその中国人のことを聞くと、彼はコンテンポラリーアーティストで、この村には住んでおらず、中国とここを行き来しているらしい。そして村人たちは、顔が見えず、存在すらおぼろげなその富豪の中国人アーティストを幽霊みたいだと囁いているらしい。ということで、私はその幽霊大富豪中国人として見られていたということが、やっと最近判明したのである。

前置きが長くなったが、そんな曰付きな廃校でどんな展示をしているのかというと、ある女性アーティストが昨年からその場所に住み込み、空き教室に所狭しといろいろな物を並べていた。いろいろな物とは大体が骨董屋にあるような古い家庭にあった台所道具やら自転車、アンティークな洋服など。かつてどこにでもありふれていた物なのに、今の時間の中では異質な物たち。そんな意味で展示を通じて時間と場所を超えてトリップしたようなそんな体験だった。

そして、ここのメインの展示物は、燃やされたピアノ。これは、もともとピアノ店から中古のピアノを引き取ろうとしたところ、その店が火事になり、引き取る予定だったピアノが全部燃えてしまったのだという。そこで、黒こげのピアノを引き取って展示することになったらしい。

夏から開催されているこの展示も、ほとんど宣伝はされておらず、しかも入場料は無料。どこからも助成は受けていないという。そしてこのアートスペースは単なる展示だけでなく、毎週末イベントが開催され、毎日のように通い彼女のアートワークを手伝う人たちで賑わっている。ほとんどこれといって目新しいことのないこの辺鄙な場所に、突然現れた異質な空間。変わり映えのしない日々の暮らしの中でそんな場所が現れたら集いたくなる気持ちがなんとなく分かる。そんなコミュニティの構築もここでのアートワークの一つなのかもしれない。

と、まずは意外に近くにあった廃校アートスペース「ここではないどこか」との遭遇について書いてみた。ここでのアート体験は次のブログに続く。

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燃やされたピアノ

      

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所狭しと並べられた骨とう品の一部

 

 

秋休み終了でほっと一息

2週間の秋休みが終わり、無事に今日から学校再開。

今朝は初雪。まだ車のタイヤ交換をしていないので、子供たちと歩いて登校した。3歳の息子も普段はなかなか歩かないのに、すたすたと足取りも軽く、保育園についてもイヤイヤをせずにすんなり登園の雪マジック。

休みの間は子供たちがいてなかなかパソコンに向かう時間もなく、本を読む時間もなく、子供たちがいなくなった月曜日の午前中、ゆっくりと自分時間を過ごす贅沢タイム。

この休みは、Toussaint(トゥッサン)といって日本でいうお彼岸のような時期で、亡くなった人々を偲びお墓参りに行ったりする。パリにいたときには、あまり気づかなかったのだけれど、この時期には市場でもカラフルな菊の花が並んでいて、お供えのお花は日本と同じなんだと今更ながら知ることになった。

そして、死者を偲ぶお祭りといえば、昔はそれほどメジャーでなかったハロウィーンのお祭りも、日本と同様に徐々に定着してきているようで、スーパー等にもハロウィーングッズが並んでいた。娘も隣町に住む友人に招待されて、顔に骸骨のメイクをしてご近所を仮装して周った。日本では、アメリカ流に「トリック・オア・トリート!」と言ってキャンディーを貰うようだけれど、こちらでは何ていうの?と娘に聞くと・・「知らないけど、ドアをノックして仮装している子供がいたら飴をくれるんだよ。」とのこと。特に決まったフレーズはないようだった。ある家では、ドアを開けたマダムが、娘たちを見て「Encore!(またか!)」とため息をついて、バタンとドアを無言で閉めたとのこと。また、他のお宅ではキャンディーは用意していないのよ・・と小銭を貰ってきた。まだまだ定着にはほど遠いということか。

ハロウィーンといえば、かぼちゃ祭りというのもあって、子供たちとひやかしに行ってみた。かぼちゃのポタージュにかぼちゃペーストを挟んだクレープ、クレープの生地は栗の粉、どれも子どもたちにもおいしいと好評だった。着色料がてんこ盛りの変なキャンディーを食べさせるより、親としてはこういうお祭りのほうがありがたい。

と、他にもこの秋休みにはいろいろとお愉しみがあったのだけれど、また後日。とりあえずは休み明けのリハビリ日記ということで。

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ワークショップで日本語通訳

ある日、息子がお世話になっている保育園の先生から、「今度日本人のクリエーターが来るのだけど、通訳をお願いできない?」と 聞かれた。日本人?クリエーター?がなぜ保育園の先生に?とその時は全く話が見えなかったのだが、よくよく聞くとこういうことだった。

その日本人の方とは、駒形克己さんという方で、こちらの地方に来る機会があり、図書館勤務の方々や保育園の先生など子どもに関わる専門職向けにワークショップを開催するのだという。

この田舎町でまず日本人の方と知り合う機会はほぼないし、子どもを持つ母親としてワークショップにも興味があったので、二つ返事でOKしてしまった。

ワークショップ当日、彼は奥様と一緒に来られていた。私が日本人であることを申し出ると「ここはどこなんですかね?」と言われたので、笑ってしまった。彼が提携する出版社の方の住まいがこの近く(といっても車で数十分)にあることで、今回のワークショップが実現したようなのだが、ほとんど知られていない地名に、ここはどこ?となったようだ。

ワークショップには2~30名程集まった。持ち物ははさみとのり。各自が好きな色画用紙を選び、好きな形に切り抜く。その形をほかの人と交換し、各自受け取った形をもとに、好きな貼り絵を製作する。私自身も通訳をしながら、促されて参加させてもらう。ルールは、相手にどんな形にするか要求しないこと、また、相手から受け取った形に文句を言わないこと。相手から受け取った形を活かしていかに素敵な絵にするか、ということにワークの目的があるとすぐに理解できた。

例えば、私がピンクの紙で切り抜かれたこんな形を受け取ったとする。

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この形からイメージを膨らませて、こんな貼り絵ができる。

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参加者はみんなワクワクとした表情でかなり集中して作業されていた。シンプルながらも、大人がこんな風に夢中になれる作業なら、子供たちはきっともっと楽しく取り組めるのだろう。

写真の作品は、うちに帰ってから娘(10歳)と一緒にやってみた作品なのだが、作る過程はなるべく見せずに、見開きにした台紙をこんな風になりました!と発表すると、わーっと誰もから感嘆が漏れる。自分が託した形が、こんな素敵な絵になるなんて!と作ってくれた相手の発想の豊かさにも気づくし、感謝の気持ちも生まれる。製作者が子供だったら、褒められる肯定感も感じられる。本当にシンプルなのに、驚きと喜びと相手とのつながりを感じることができる。そしてワークショップが終わる頃には相手に親近感も生まれる。

このワークショップなぜ図書館のスタッフ向けにされるのかという話があった。

フランスでは図書館内でよく子供向けのワークショップが開催される。それは本を読むきっかけを作るためなのだが、本が嫌いな子どもでもこうしたワークショップを目的に図書館に入ることで、周りに置いてある本に目が行くようになるという。私も子どもが楽しく安心して過ごせる場所に本があるというのは大切なことだと思う。また、スマホタブレット機器やゲームなど、子どもたちの遊びがデジタル化されている中、簡単にリセットできない手作業の経験が重要だと話されていた。そもそも人生は簡単にリセットできないのだからと。

安直に引き受けてしまった通訳の話も、だんだんと哲学的な話に発展し・・最後は冷や汗をかきかき、聴衆の皆様にボキャブラリーの助け舟を出してもらいながら、なんとか彼とこの地域の皆さんとつなぐことができた。

通訳はまったくのボランティアで引き受けるつもりだったのだが、主催者の方から本をプレゼントしていただいた。とてもシンプルながらも美しい本。息子(3歳)に読み聞かせていたら、出産のことを思い出して図らずも最後は涙してしまう。ポップアップのような仕掛けのある本なのだが、テキストでもイラストでもない、色やイメージが心に突き刺さる。

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「ぼく、うまれるよ!」 I'm gonna be born Katsumi Komagata / ONE STROKE

このワークショップは、最近いろいろ難しくなり始めた娘と時々やってみることにする。テレビのない我が家も、DVDやPCを付けてしまうことは簡単なのだけれど、一緒に手を動かして出来上がりのワクワク感や喜びを共有することの大切さを改めて感じた。ついつい面倒くさくなって、一人遊びをさせてしまうのだけど、一緒に何かできる時なんてあと何年もないのだから。

 

「日の名残り」と「並行世界」

ブームに乗ってカズオ・イシグロの「日の名残り」読了。まず第一に感じたのが翻訳書が苦手な私も読みやすい素晴らしい翻訳。彼の母国語が日本語だったから?語り手である執事が簡潔に理路整然と物事を伝える語り口だから?などと想像してみるが、彼の他の作品を読んでみたいと思わせてくれた。 

全体に亘り続くドライブ旅行の時間軸と回想シーンの時間軸が二つあるのも面白く、主人公がみた田園風景と私が普段運転しながら見るこの辺の風景が重なってとてもリアルに感じたりもした。

読み進めるまで、こんな最後の展開に辿り着くなんて想像もつかなかったので、驚きとともに心が揺さぶられる。まるで映画のラストシーンのように映像が浮かんだ。(映画化もされているようだが私は観ていない。)この感じは何処かで体験していると思ったのと同時に浮かんだキーワードは「並行世界」。大好きな小沢健二の「流動体について」でも歌われているし、日本へ帰る機内で観た「ラ・ラ・ランド」のラストシーンだ!とパズルのピースがはまった気がした。

語り手は自身の間違いに向き合うことなく、完璧な忠誠の名の下、自身で決断を下すことなく人生を歩んできた。最後に自分が犯した間違いに気づき、認め、やっと自分の人生における小さな決意をする。その小さな決意がなんとも可愛らしくユーモラスで、ホッコリとしてしまうのだが、そこにこの作品の魅力が凝縮されているように感じた。

誰にでも、あの時こうしていたら?という分岐点はあって、その最中にいるときは流れに身を任せているようだったり、流れに抗えなかったりするものなのかもしれない。或いは、第六感的な勘でエイっと選んでしまったり、深く後先考えずに決めてしまったこともあるだろう。私自身、思い当たる節は数知れない。

では、並行世界の私はどんなだろうと妄想してみる。彼女もきっと幸福や不満をだいたい同じくらいに抱えて、その時々を頑張ってるんだろうなと同士を得た気持ちになる。そっちはどうだい、上手くやってるかい?こっちはこうさ、どうにもならんよ。なんて時々話しかけるのもいいかも。(あくまでも心の中で)

 

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 

流動体について

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サニーデイ・サービス「青春狂走曲」