ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

フクロウの歌~10歳娘の創作物語~

以前に小沢健二SEKAI NO OWARIの新曲CDがはるばる届けられた日の出来事を書いた。

以来、すっかりこの曲の虜となった子供たち。毎晩のようにCDをかけるように急かされ、子供たちは思い思いに歌ったり、体を動かしたりして、フクロウ祭りを繰り広げている。 

tkchbn.hatenablog.com

 今年から水曜日は学校が休みになった娘(10歳)が、昼下がりに1枚の紙を渡してきた。最近、思春期の入口なのか、めっきり言葉数が少なくなった娘は、「はい、見ればわかるよ!」と言い残していった。

読んで見るとフランス語でぎっしりと何やら書いてある。タイトルは「フクロウの歌」。大好きになった『フクロウの声が聞こえる』※をフランス語に翻訳したのかと思いきや、なんと曲に着想を得た創作物語を書いたという。曰く、翻訳より分かりやすいでしょとのこと。読んでみて、思わず感嘆してしまった。まずは、フランス語の文章力のついたこと。たった1年足らずでここまで書けるようになるとは・・。私の語彙力も文章力も抜かれた。そして、詩の解釈について。10歳なりにとても深く読み込んでいるのだと。

と、親ばかの日記となってしまいそうだが、もしこの曲を好きな方がいたら共有したく、下記に原作・娘(原文フランス語)わたくしめ母・和訳の創作文をご紹介したい。

※この『フクロウの声が聞こえる』の歌詞をご存知ない方はこちらから。

 

フクロウの歌

Le chant du hibou

食卓についていたティモテにパパが森に散歩へ行こうと言った。毎晩のことだが、ティモテが、「チョコレートのスープを見に行こう!」というと、パパはまたいつものように頷いてくれた。

Timothée était à table quand son papa lui proposa une balade dans les bois: comme tout les soirs, Timothée répondit "On vas voir la soupe aux chocolat!?" 
Et comme tous les soirs, son papa fait "oui" de la tête.

マフラー、手袋、毛糸の帽子、準備万端。

Écharpe, gants, bonnet...Rien ne manque.

パパはドアを玄関の扉を開けた。ブルブルッ、何て寒さだ!

Le papa de Timothée ouvre la porte...Brrr! Quel froid de canard!
しばらく歩くと、パパが耳に手を当てた。
Ils marchèrent un moment puis le papa tendit l'oreille: 
「聞こえるかい?フクロウだよ。」ティモテも耳を澄ました。
「あ、聞こえる。それに、チョコレートのスープの大きな魚が飛び跳ねる音も!」
"Tu entends? C'est un hibou" Timothée la tendit à son tour: "Ah oui, on entend aussi le gros poisson de la soupe aux chocolat!"
パパは驚いた。そして、ティモテも。
Papa était émerveillé. Et Timothée aussi.
静けさの中、チョコレートの上空を飛行機が横切った。ティモテは、枯葉を手に取りチョコレートに浸してみた。
Le silence se fit d'un coup et un avion coupa la soupe aux chocolat. Timothée pris une feuille morte qu'il trempe aux chocolat.
枯葉はみるみるうちに沈んで消えた。「パパ、まるでスープが葉っぱを飲み込んだみたいだよ。」
La feuille disparut aussi tôt. "On dirait que la soupe englouti la feuille, Papa!" fit remarquer Timothée.
「おまえは想像力が豊かだな。」とパパは笑って言った。
"Tu en a de l'imagination!" Rigola son papa.
「ねえ、願い事の時間だよ!」とティモテは言うと1円玉を泥水に投げた。パパも同じようにした。
"Allez, c'est l'heure de vœu!" Timothée pris une pièce de 1 Yen et la lança dans la boue. Son papa fit ainsi.
そして、手を叩いてから目を閉じた。
Puis ils tapperent dans leurs mains et ferma leurs yeux.
「ハムとイチゴジャムが一緒にある世界になりますように!」とティモテが言うとパパが続けた。
Timothée dit "Je veux un monde avec...le jambon et la confiture à la fraise ensemble!" 
「うそとほんとうが一緒にある世界になりますように!」
Son papa poursuivit "Je veux un monde avec...les mensonges et les vérités ensemble!"
フクロウの声が聞こえた。魚がヒレで水音をたてた。
Les hululement du hibou se fit entendre. Le  poisson agite ses nageoire.
「願いが叶ったね!」ティモテが笑って言った。
"Je crois que ça marché!"  dit Timothée en rigolant.
「いやあ、その通りだね。」とパパも返した。
"Oui, tout à fait.", dit son papa.
「さあ、そろそろ帰ろうか。」
"Et, si on rentrait maintenant?" 
二人は手をつないで歩きだした。
Et ils partirent main dans la main.
 
おわり
Fin

 

もし、これが全部夢だったら?
et si tous cela n'était qu'un rêve?
 
と、ティモテとパパが森を散歩する話なのだが、彼女は何十回と曲は聞いていたけれど、その背景や詩の内容について、二人で話題にしたことはない。すべて彼女の頭の中で作り上げられたことのようだ。木の棒を持っている少年が描かれたCDジャケットの絵からも着想を得たのかもしれない。
娘にとって、願い事をすることは神社のお参りのイメージだったようで、チョコレートのスープを神社の祭壇に見立てて、お賽銭(1円)を投げ入れて、願い事をパパと言い合うところが面白い。しかも、チョコレートのスープ(池)を神様か宇宙か、自分の力の及ばない壮大なものに例えて、願いを叶えてほしいと祈るという発想を、歌詞から感じ取ったとしたら、子どもの心はなんて純粋で自然で野性的なのだろう。そして、フクロウの声と魚の音を聞いて、願いが叶った!と確信する。また、歌詞では「ベーコンといちごジャムが一緒にある世界」なのだが、ハムと書いたのは彼女にとっては同じようなものだからだと思われる。
 最後の一文もなかなかミステリアスで良い。現実世界もちゃんと検討している10歳女子。
 
この物語はCDジャケットに入れておかなくては。まさにプレミアム付きCD。
 
 

フランス人マダムの眉間の皺

私がここに居て外国人だなあと感じる時は、話し相手の眉間の皺だ。

25すぎで体得した私のフランス語はやはりアクセントがあるし、きっと逐一ネイティブのフランス人に修正させたらボロボロ。夫は毎回は直さないが、何度も間違えている表現があると、直してくれる。最近、フランス語率が日本語より上回ってきた娘からはよく名詞の女性形と男性形を直される。それでも大抵の意思疎通には不自由していないと思っている。

特に年配の女性(代表的なのは義母なのだけれど)と話すとき、話し始めるや否や、相手の眉間に皺が寄ってくる。私のフランス語は外国人が話すフランス語だという前提で、この日本人のフランス語分かるかしら?みたいな不安が眉間の皺として表れてくるのではないかと解釈している。眉間の皺に悪気は一切ないんだと思う。

その昔、在仏20年くらいの、私からみたらネイティブとなんら遜色のない語学力がある人でも、同じような経験があると言っていた。

おばさんの眉間に皺が寄ってくると、急にプレッシャーを感じて、それまで自然に発せられていた言葉が詰まってくる。話相手の目を見るのが基本スタイルなので、その皺が寄った真摯な眼差しを向けられると、蛇ににらまれたカエルのようにたじろいでしまう。いや、これは悪気のないおばさんの傾向だと自分に言い聞かせて前に進む。

眉間に皺現象は、不思議と同じ世代の人たちや若い人たちと話すときは見られない。若い人たちの方が国際化が進んでいるからだろうか。そういえば、役所や病院の受付のおばさんたちは、だいたい皺が寄ってるなあ。あ、外国人が来た!フランス語話せるのかしら?私英語できないわよ。と構えているんだろう。それとも、おばさんになると皮膚に皺が寄りやすいだけなのか。

昨日、知り合いのマダムの家を訪ねたときに久しぶりに眉間の皺を目の当たりにしたのでこのテーマで書いてみた。彼女は人柄もオープンで親切で、日本にも住んでいたし、外国人に抵抗があるわけでもないのだ。

もし、在仏まもなく同じような経験をして、傷ついている人がいたら、気にしなくていいんだよと教えてあげたい。

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

ビズが億劫な件

フランス人の挨拶は握手もしくはほっぺにチュッチュとやる「ビズ」とが2種類あって、誰に教わったわけでもないが、私の経験上、家族親戚間、友人同士、仕事ではないプライベートな関係の相手、初対面でも若者同士ではビズが適切な挨拶である。会った時と別れる時それぞれにやる必要がある。ビズをしないと失礼とまではいかないが、ちょっと感じ悪いというよりは、した方が誠実であり丁寧な挨拶になる。

一方、握手はより堅苦しい場面に使う。例えば職場の同僚などに、毎朝オフィスに着いたら一人ひとりに握手して回るし、帰りも同様だ。あとは、学校の先生と面接したり、お医者さんに診察を受ける時、年配の方々へ挨拶する時などに適用する。

私の身体には全くこのスキンシップ付きの挨拶が刷り込まれていなくて、いつも「えぃっ」と気合いを入れてこの儀式に臨む。もちろん、とても親しくなった友人などには自然と振る舞えることもあるのだが、あまりよく知らない人に対しては「えぃっ」が要るのである。

気候もすっかり秋になり、子供達も昼間は学校に行くようになり、なんとなく心がポッカリとしたモードになっている最近は、ひとり時間が心地よく、なんとなく他人との接触が億劫だったりする。まだこの地に落ち着いて1年も経っていない私の知り合いは子供繋がりや、夫の仕事繋がりの人ばかりなのだが、ビズが自然とできる程とても親しくしている人は数えるほどしかいない。しかし、家を出てスーパーや学校、保育園に行けば、微妙な距離感の知り合いがたくさん居て、みんな笑顔でビズをしてくれる。そしてちょっと立ち話をしただけですぐにさよならのビズで別れる。

しかも、フランスのマジョリティは両頬に1回ずつの計2回なのに、この地域は3回なのである。回数が1回増えたってどうというわけでもないが、「えぃっ」に更に「3回な」と指令を下し、笑顔で挨拶と世間話をしなくてはならない。だから、スーパーの駐車場などで会ってお互いの位置に距離があったら、これ幸いと手を振って、「元気〜?」と声をかけて、「またねー」と車に乗り込んだりしていた。

書きながら気がついたが、ビズもそうだけれど、やはり最近は人に接するのが億劫になっていたらしい。こんなことではいけない。田舎での人付き合いは大事だ。構成要員が限られているし自分がコミュニティを構成する一員なのだと自覚して振舞わなければならない。何より人との繋がりが自分のセイフティネットになるのだから。明日からはもうちょっと社交的に攻めて行こう。

 

因みに、フランスの地域によるビズの回数マップがあったので貼っておく。

3回の地域は結構少ない。希少なゾーンにいるのだなとちょっと嬉しくなった。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

 

combiendebises.free.fr

フランスの田舎にもフクロウが飛んで来た

フクロウと言っても、これは先日発売となった小沢健二の新曲「フクロウの声が聞こえる」のCDの話。新曲が発売されると聞きつけるやすぐに予約注文をしていたCDが、発売日の翌々日にフランスの辺鄙な田舎に届けられる。地球は小さくなったものだ。真っ黄色のトラックの運転手のお兄さんはきっとリヨンあたりから、2時間近くかけてクネクネした峠道を運転してくれたに違いない。道に迷って家の前で電話をくれたので、トラックまで走って受け取りに行くほどのときめき。

今回は意外なアーティストとのコラボで話題になっていたが、10歳の娘が好きな世代のグループということもあり、親娘でワクワクしながらCDを聞く。きっと、それぞれが感じることは全く違うのだけれど、それぞれの胸にいろいろ突き刺さり、すかさずリプレイを繰り返すこと数回。3歳息子は、身体を揺らし歌い出す。最終的に親子で大合唱。

まるでお伽話のようなキーワードが並べられつつ、心の深淵に訴えるような大切なことが詰まった美しく温かな詩は、ビートルズのような賛美歌のようなどっしりとした、でも老若男女誰もが歌いたくなるようなポップなメロディーに乗って歌われている。我が家の日本人組の心のベストテン暫定1位。 

20年前にオザケンを聞いていた時にも宇宙を流れていた何かが、今ここにこの歌となって贈られてきたような、そのくらい大袈裟だけれど、個人的な出来事。

 

フクロウの声が聞こえる(完全生産限定盤)

フクロウの声が聞こえる(完全生産限定盤)

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

新しい季節のはじまりはじまり

今日からフランスは新学期。娘は日本の学年より一足早く5年生に。そして来年は中学生のマジック!娘は、生まれた時から3歳みたいな顔立ちをしていて、周りからも大人だねと言われるくらししっかりしていて、(とはいえ、親としてはいろいろ幼い面もしっているのだけれど)来年の9月に中学生となるのも彼女には合っているのかもしれないなあと思った。学校が大好きな娘は昨日から着ていく服や持ち物をだいぶ吟味して、今朝も目覚ましをかけてドライヤーで寝ぐせも直してウキウキした笑顔で出かけていった。(娘は夫が送り届けている。)

さて、息子(3歳)は本来今日から幼稚園入学となるところなのだが、何となくやっと保育園に慣れたところだし、いきなり新しい環境にまた放り込むのも酷な気がしていて、この地域では半年毎に入園できる制度があったので、1月に入園を遅らせることにした。

長い夏休みの後から、保育園の引き渡しの時に酷いイヤイヤをするようになってしまい、今日もまた休み明けだったのでダメかと思っていたらやはりダメだった。保育園に入るまではいつもスムーズ。子供の遊びゾーンに入ると後ずさりを始め、先生の顔を見ると入口まで行って脱走しようとする。前までは先生に抱っこしてもらえば落ち着いていたものの、今ではカツオやマグロのように泣き喚き足をバタバタ、体をくねらせて暴れ回るので先生と二人がかりで抑え込む。そして私は申し送りも手短かに、笑顔でバイバイ!と言って走り去る。保育園に子供を預けるときの鉄則。決して親が悲しそうな顔をしたり困った顔をしてはいけない。笑顔でバイバイ!は大切。

しかも今日は、先日誕生日を迎えたので、保育園のお友達と食べるためのバースデーケーキを持参した。家ではそのケーキを見せると目をキラキラさせて食べてしまいたいくらいの笑顔を見せてくれたのに。そのケーキを見せてなだめすかしてもだめだった。

自作のケーキを学校や保育園に持っていくというのは、私にとっては初めてのことだったので、ネットで”学校用バースデーケーキ”みたいなので検索して、一般のフランス人の親が持たせそうな感じのものを焼いてみた。ひと様のお子様に食べさせる物なので、きちんとレシピも検索して、フランス人砂糖多くない?とびっくりしながらもその通りに入れてみた。ちょっと健康に配慮して旬の梨も入れてみた。飾りつけには、家では食べさせtないけれど、義母がいつか持たせてくれたM&MSみたいなカラフルなチョコを埋めてみたり。飾りつけに折り紙のガーランドを手作りしたり。こういう母さん業は断然楽しい。 

とはいえ、息子は普段から後負いが激しく、町を歩いていてもパパの肩車ではだめ、ママと抱っこでないと嫌、寝るときもパパが本を読むのではだめ、ママが良い!とかなり激しく主張なされるので、この夏休み2か月はいっぱいいっぱいだった。今も肩やら腰やらがガチガチの筋肉痛だ。

息子を多少ひきつった笑顔で置いてきて、一通り掃除を済ませ、見たかった動画などを見て、それでもまだ午前中!なこのひと時。嗚呼、なんという解放感。ただただ、この解放感を書き記したかっただけなのだけど、意外と頭の中は子供たちのことだらけ。

楽しくやっているのかな。私もやるべきことに取りかかろう。

 f:id:tkchbn:20170904190757j:plain

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

フランスの田舎で日本食のサステナビリティ問題

ここは田舎なので近くに日本食を扱う店があるわけでも、和食屋どころか中華料理屋もない。週に一度の朝市に隣町からベトナム人のおじさんが売りに来る春巻きだけが、我が家のご飯のお供になる唯一の外食リソースだ。

日本食で育った子供たちは白米が好きだし、従ってそれに合わせたおかずは良く食べる。納豆、海苔、梅干し、ふりかけ、漬物、味噌汁があれば手の込んだ料理は要らない。日本では母さんの味方だったこれらの食材は海外にいるととてつもない高価な貴重食材になる。

引越して来るときに、ふりかけや海苔、乾麺などは段ボール一箱分送って、この間の帰国まで持たせた。また、今回の帰国で友人や家族から持たせてもらったストックもまだかなりある。

日本食を調達するには車で2時間くらいのリヨンの日本食材店で買うか、ネットで注文することもできる。日本米などは今までここで注文して乗り切っている。

でも、こんな風にアンパンマンの小分けになったふりかけも、味付け海苔も、いつまでも買ったり送ってもらうのはなんとなく勿体無いし、持続不可能な気がしている。なるべくなら、地元で手に入る食材で作れる範囲で日本食を食べ続けた方が良い。どうしても手に入らない生魚などは、隣町のナンチャッテ寿司屋に時々食べに行けばよい。

ということで、作れる物は手作りするようになった。幸い地元の有機食品店では、小豆や大豆が手に入るし、麹を通販してくれる在仏日本人の方のネットショップがある。これまでも納豆、小豆のあんこ、漬物などは時々思いついたら作っている。夏前に味噌も仕込んだ。今ある味噌がなくなったら蔵出しする。

そして、今回は娘の大好物の梅干しを作った。青梅はこちらでは手に入らない代わりに杏やプラムで梅干し作りができるという、海外在住の先人たちのお知恵を拝借して、青いプラムで梅干し擬きを作ってみた。梅干しなんてとても手間がかかると思っていたのに、本当にシンプルでこれなら続けて行けると確信した。やってみなければ知らないことばかりな世の中に居たのだなあ。もちろん日本に居たら、手間とコストを天秤にかけてこんなことはしないんだけども。不自由な暮らしの中の楽しみ。

酸味が若干足りないが、ご飯のお供としては上出来で、たくさん食べられてしまう。プラム系のフルーツの季節が終わる前にもう一度仕込んでみようと思っている。

f:id:tkchbn:20170904060350j:plain

f:id:tkchbn:20170904060422j:plain

主に参考にさせていただいたのはこちら。

ameblo.jp

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

旅行の〆はアヌシーで

ニース→イタリアはトリノで過ごした夏休み最終旅行。帰りは真っ直ぐ帰ってもよし、また何処か一泊してもよし、というノープランな状態で最後の朝を迎えた。

真っ直ぐ帰る?折角だし何処か寄る?の答えのない問いかけ合いを暫し続け、夫のアヌシー行ってみる?の鶴の一声で帰り道のルートが決定した。

高速道路を交代で運転するとあっという間にバルドネッキアという国境の村へ。そしてフランス側に入るトンネルがあるという案内板の通りに行くと料金所があり、支払いを促される。カードを出すと同時に表示された料金にあんぐりする夫。42ユーロとある。え?何これと戸惑うもここを通過しなければ帰れないらしい。何これ高くない?何だよこれ、新宿のぼったくりバーかよ!と、夫は思いつく限りの悪態をつきながら、素晴らしく快適なトンネルを通過した。

まあまあ、と夫を宥め賺しながら、アヌシーへ。激混みの駐車場になんとか駐車して、アヌシー湖畔をしばし歩く。雄大なアルプスの麓に広がる湖畔。透き通った青色の水。鴨の足の動きもくっきり見える程。旧市街の街並みヴェニスのように美しい。でもやはり、ザ・観光地な雰囲気の中、本屋をみたり、カフェで一服した後は、長居は無用と帰路に就いた。

夜遅くオーベルニュの地元に着くとヒンヤリした清々しい空気。夜ともなると人通りも店の灯りも殆どないわが町を見て、あゝ何もないとこに帰って来てしまったという虚しい気持ちと、安堵の気持ちが入り混ざり溜息が出た。ただ、子供たちと夫、家族で過ごすことだけが、ここに住むことに意味を与えてくれているように思った。ここではないどこか。夏の間に来ていた人達もだいぶ去って行ったらしく、家家の灯りも消えていた。

夏は行ってしまった。これから長い秋、そして冬のはじまりはじまり。

サニーデーサービス 「夏は行ってしまった」


Sunny Day Service - 夏は行ってしまった【official video】

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村