ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

共通点

フランス語ではこんにちはのご挨拶のときに、英語のHow are you?同様、「元気?(Ca va? サヴァ?)」と聞くのが普通なのだが、日本語では毎日の挨拶でそんな風に相手の調子を気遣うような挨拶はしない。久しぶりに会った相手なら「お元気でしたか?」とか「最近調子はどうですか?」というシチュエーションはあっても、毎日会う職場の人や近所の人に「今日は元気?」という距離感はないような気がする。

で、私はいつもこの「元気?」の質問を投げかけられると律儀に考えてしまう。もちろん、何事もなく元気な時は問題ないのであるが、調子が良くない時は「ちょっと調子悪いけど、あんまり調子よくないっていうと、理由を話さなくちゃいけないし、まあ元気ってことにしとこうか・・。」みたいに、相手によって「元気?」の答えを変えている。

なぜ、この話題かというと、先日の事故の後、道で会う人々に「元気?」と聞かれて「いやあ、実は事故してしまって・・」と、相手を選んでこぼしていた。相手はほとんどが女性。おそらく話したのは4~5人だと思うけれど、ほぼ全員が「私も同じことあったよ・・」というリアクションだった。中にはまだ赤ちゃんだった娘と一緒で未だにトラウマだという彼女や、去年スリップして車が大破してもう乗れなくなった彼女や、子供たちの冬の送り迎えはもう夫に一任しているという彼女。情けないと凹んでいた自分の肩の力が抜けたのは、共通点があった彼女たちのお陰だった。

SNSを通じて知り合った共通店を持つ彼女達。同じく田舎で仕事がないので、手作り品をネットで販売している彼女。フランス在住ではないけれど、フランス人の配偶者がいて、同じく海外で和テイストのアクセサリーを作っている彼女。

人と違うことに誇りを感じることももちろんあるけれど、同じ環境や境遇、同じ体験を共有できる人たちに支えられているのだとつくづく。ここかしこに、そんな出会いがあることに感謝して。

分かり合うのは「喜び」だけではないけれど、今日のテーマソングはこれ。

喜びを他の誰かと分かりあう! それだけがこの世の中を熱くする!

立ち止まり 息をする 暖かな血が流れていく

心の中でずっとキラキラ弾ける!

...

唾を吐き 誓いたい!それに見合う僕でありたい!

しびれっぱなしの手のひら! 鼻水出りゃこすりながら!

痛快に降る雪の中歩いてく!

「痛快ウキウキ通り」小沢健二


小沢健二 - 痛快ウキウキ通り

 

 

事故の顛末とクリスマスマーケット

スリップ事故から数日。皆さんの励ましのお陰でだいぶ持ち直してきた。(ご心配をおかけした皆様ありがとうございました。もう大丈夫です。)ただ一つ問題が。長く日本に住んでいた私たち家族が車をフランスで持ったのは初めてのこと。フランスではオーナー歴に応じて保険料が決まるらしく、偉く高い保険料を払わされていると夫から聞かされていた。しかも2台一度に持ったため、車両保証をけちっていたらしく、車の修理代はカバーされていなかった。修理業者から聞かされた金額に開いた口が塞がらない状態にある。けがもなく無事でよかったものの・・・ものの・・もののである。

渡仏してから無職の私。何度か就職も考えたけれど、この田舎町で外国人の私ができることは本当に限られていて、そんなことを言い訳に未だに充電期間。というか、やはり雇われて働くこと自体を半ばあきらめている。

さて、ここに来たばかりの頃、娘が学校のお友達から誕生日会に誘われた。田舎なのでプレゼントが買えそうなお店もなく、持っていた折り紙で小さな折り鶴と風船を折り、透明マニュキュアで固めてピアスにしてプレゼントした。クラスではたちまち評判になり、友達のママの方が気に入ってつけてくれているという。

そこで、ちまちまと空いている時間に折り紙でピアスを作り始め、ある程度作品がたまったところでEtsyというネットショップで売り始めた。それがちょうど1年前。口コミで知り合いの間にじわじわと広まり、ネット上のほかにもアクセサリーの注文をいただいては作って差し上げたりをしていた。

そして、昨日、地域主催のクリスマスマーケットが開催され、そこへの出店を打診されていたので、ぜひにと申し込んだ。車で事故を起こしたのが、このクリスマスマーケットの数日前。夫に私の貯金から少し修理代を出すと申し出たものの、心優しき夫はまだ収入のない私を気遣い、「クリスマスマーケットの売り上げを折半して、それを修理代の一部に充てよう。」と言ってくれた。車の保険料も払っていない私には、「なんで最初から車両保証つけてないのよ!」なんて強気な文句は言えるはずもなく。

と、1年越しでちまちまと作っていた折り紙アクセサリーの初の対面販売に臨むことになった。売り上げには車の修理代がかかっている。しかし、ここのところ大雪続きのため、客足はまあまあ。そして、他にも手作りアクセサリーを扱うブースが数店。売れると見込んで大量に作っていたラインはあまり売れず。何よりも失敗したのは、一目で「折り紙」ということが分からないため、他のアクセサリーショップ同様チラ見しては去られてしまうということだった。と苦戦はしたものの、知り合いのママさんや友人たちのお陰でまあまあ売り上げることができた。

やはり対面販売はネット販売の比にならないほど効率がよい。この手の手作り市に定期的に出店すれば、定職には及ばなくても収入ができるので、出店の条件などについて陶芸をしている友人に詳しく話を聞いたりして調べてみたりしたことがある。出店にはmicro-entrepriseといって自営業の登録をし、相当の保険などに加入する必要があるということがわかった。彼女曰く、書類を送れば登録はできるというので、それについてもリサーチをしてみたら、法律が変わって数十時間の研修を受ける必要があるという。ただ、その研修を受けるには事故をした峠を越えた町まで行く必要があり、雪がおさまる春までお預けとなりそうだ。不器用な私がアクセサリー作家として起業する。まったく1年前には想像していなかったシナリオではあるけれど、少しワクワクしている。

 写真は販売商品の一部。

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ついにスリップ事故

雪国暮らし2年生を頑張るつもりでいたのだが、昨日ついにやってしまった。車のスリップ事故。私の銀行口座は以前パリで暮らしていた時から持っているもので、ここの田舎に支店がない。そこで銀行の用事は山を越えて30キロほど先の町へ出ていかなければならない。昨日の午後からずっと雪の天気予報だったため、峠越えをするなら今日しかないなと思い、学校が休みの子供たちとのショッピングを兼ねて出かけていった。

住まいの近くではまったく路面に雪はなかったのだけれど、山道を進むうちに路面がシャーベット状になっているところがでてきて、かなり慎重に運転をしていた。隣町について用事を済ませ、子供たちとお寿司を食べて、服を買ったりしてとても楽しい気分で帰路についたときその事故は起きてしまった。

子どもたちは満腹で二人とも眠っていた。私は難所の峠道をなんとか上りきって後はもう大丈夫という気持ちでまっすぐな道を走っていた。後ろから2台ほどついてきていたので、本当はもう少しゆっくり走りたかったけれど、60キロから70キロくらい出ていたと思う。昨日調べた限りだと、アイスバーンはまっすぐな郊外の道で起こりやすいという。まさにそのケースだった。

まっすぐな道のなるべく轍の上を走っていたら、急に車が横滑りした。あとはもうわけが分からずハンドル操作も効かないまま対向車線にはみ出て1周して側溝にぶつかって停まった。後ろから来ていた車はそのまま通り過ぎていったと思う。車は後輪が側溝にはまり、前部分のカバーが外れていた。ライト関係は無傷だった。寝ていた息子はびっくりして泣き喚き、娘は動転していた。とりあえず子供たちの無事を確認して車を出ると通り過ぎる車に手を挙げて助けを求めた。後ろから押してもらえばまた走り出せると思っていたのだと思う。たまたまいつもうちに郵便小包を届けてくれる郵便局の女性が通りかかった車から降りてきた。彼女が保険屋に電話をかけて、レッカーしてもらいなさい。という。分かったといいながら、まず夫に電話をかけてみたが、昼休み中で出ない。仕方なく車に備えてあった保険会社に電話をかけるとスムーズにレッカー出動の番号をくれて、そのやり取りも、ものの5分で終わった。その間も、たくさんの人が心配して様子を見に来てくれた。

ある女性が「レッカー車が来るまで一緒に居てあげましょうか?」と言ってくれたとき、それまで堰き止めていた気持ちが決壊して、涙がこぼれてきた。

ああ、子供たちを事故に巻き込んでしまった。もっとゆっくり走ればよかった。そもそも銀行なんか行かなきゃよかった。一人で来ればよかったと自責の念が沸き出てきては止まなかった。その見ず知らずの女性は大丈夫よ。と困ったような顔をして、私の肩をさすってくれた。

「もう大丈夫です。レッカーを待ちますから。ありがとう。」と涙をぬぐい気を取り直して傾いた車の中で子供たちと落ち着いて待つことにした。レッカーが来るまでおそらく20分くらいだったかと思う。1分置きくらいに通りすぎる人たちが車を停め、大丈夫かと声をかけてくれた。子供たちだけでも家で預かろうかとおじさんが申し出てくれたりした。優しい言葉をかけられる度にまた泣きべそをかいては、気を持ち直してを繰り返していた。その後、レッカー車のトラックに子どもたちは喜々として乗り込み、修理業者まで駆けつけてくれた夫と一緒に帰路についた。

夫には何度も何度も君のせいじゃない。どうしようもなかったと慰めてもらったけれど、一日経った今も、情けなさと有難さで揺さぶられている感情をやり過ごすしかない。今朝も家を出たら毎朝挨拶を交わす女性が居たので、昨日の顛末を話したら、みんな経験することだから大丈夫よと慰めてくれた。まだまだ冬は始まったばかりなのに。今は弱音を吐くことが立ち直りの一歩らしい。

フランスのトイレない問題

週末は義母と姪甥の合同誕生日会のため夫の実家のあるリヨンへ。せっかく都会へ行くのだからと、いつも街へ繰り出すのだが、ただでさえ人混みの激しい週末にブラックフライデーなる催しがされていて、どの店も足を一歩踏み入れるたびに「やめとこか・・」と退散し、結局ぐるぐる歩き回っただけに終わった。

しばらくすると息子がトイレトイレと騒ぎ出した。店にトイレがないフランス。場末な感じのカフェに駆け込み、家族4人分の飲み物を頼んだらとってもお高くついたトイレ代になってしまった。夫は頼んだビールが生温かったと憤慨していた。しかも同じような目的の小さな子供連れの家族が数組居た。

田舎ならば、子供は自然の中で用を足してもらってもまったく問題ない。特に男の子を持って初めて知ったが、男子は楽なもんだなあと、女子の立場からすると嫉妬さえ覚える。

普段の田舎暮らしではそう不便にも感じていなかったけれど、都会を歩いて回るとほんとうにトイレ問題が深刻。その昔、パリで妊婦時代に散歩途中に使えるトイレは熟知していた。マクドナルドはレシートにある番号コードをドアについている機械に打ち込みロックを解除する仕組みだし、デパートにもトイレはないし、公衆トイレは使えるレベルではないので問題外。当時は、まだフランスにできて間もなかったスターバックスのトイレや大き目の映画館の入口そばにあるトイレが私の御用達だった。

ご存知の方も多いけれど、パリのメトロは尿臭がすごいし、地下道とか地下にある駐車場なんかも同じにほいがする。外に公共トイレがないのだから、ホームレスの人たちにはそうするしかないからだろう。

と、昔のことを振り返っていたら、ある光景を思い出した。まだパリに来て間もなかった頃の冬のある日、地下鉄のホームで電車を待っていたら、向かいのホームにいたご婦人がおもむろにスカートをたくしあげ、しゃがんでおしっこをしていた。ホームには結構人が居て、周りの人たちも「オララー」とか言っていたような気がする。ただ、その時はまだフランスに来て間もなくて、フランスならそんなこともあるのか・・と、ショッキングな出来事を自分の中で処理していた。未だにあれは現実だったのか定かでない。その昔見たゲンズブールの映画で、ジェーン・バーキンがそんな風にしてるシーンを見たからだろうか。

トイレのことを心配しなくてもよい日本の町が好きだ。空港に着いたときから感じるなんともいえない安堵感。「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」の嫌味な張り紙も、ほんとうにみんなのお陰だと感謝の気持ちさえ沸いてくる。


Je t'aime moi non plus (1976) Trailer - Bande Annonce

 

 

 

フランスでリストラ

ひょんなことから10年以上前にパリで働いていた時の同僚とネット上でつながった。SNSなどで繋がっている人たちもいることはいるのだが、そこまでの仲でなければ彼らとの時間は止まったまま。どんな風に歳をとっているのかも、近況も知らない。

私はパリで数年勤めた企業を不本意な形で退職することになった。いわゆるリストラなのだけれど、当時の社長の個人的な恨みを買ってしまい、自分の結婚式の休み明けに解雇を通達されるというかなり酷い仕打ちを受けた。しかも、フランスでは労働者保護の観点からそうそう解雇はできない。解雇が可能となるケースには経済的な理由での解雇と、従業員自身が重大なミスを犯した場合の2パターンがあるが、経済的な理由解雇の人数制限が企業ごとに設けられていて、すでに数人解雇した後で枠がなくなったのか、後者のケースである重大ミスをでっち上げられた。

同僚が数人解雇されていく中、次は自分の番でないかとは感じていたのだけれど、夫と日本へ行くことを決めていたし、ずっと勤めるほどの思い入れもなかった私は、それならそれでと悠長に構えていた。

ただ、自分がその当事者となった時、またありもしないミスをでっち上げられた時、これは泣き寝入りできないと腹をくくった。友人のつてで弁護士を紹介してもらい、解雇はされても名誉を守るために闘おうと思った。

当時、日系企業にいた私は無能な駐在員の上司達にうんざりしていたし、彼らのフランス人従業員には物が言えない管理能力のなさ、反対に日本人従業員への要求の高さにも腹を据えかねていた。年末の給与交渉の面談でも、減給が嫌なら辞めろというハラスメントを受けていた。少し大人になった今の私ならもう少し波風を立てずに対応できたのかもしれないけれど、フランス人や男性に対してなら絶対に放たない言葉、日本人の若年の女性だから浴びせられている言葉に不当さを感じていたし、なんとなく先に辞めさせられた人たちの想いを勝手に背負っていたのかもしれない。

しかし事態は急変する。解雇前の面談というのが何度か行われるのであるが、その直前に妊娠が発覚したのだ。フランスの雇用法では妊娠中はいかなる理由でも解雇できない。ただ、公然に解雇を言い渡された私が居残るというのもまたおかしな話だったし、日本への帰国が決まっていたので自ら辞職するより解雇され賠償金を貰える方がよいと考えた。ただ。職業上のミスが原因の場合は、従業員のミスなので退職金は望めない。

解雇前の面談は、通常は従業員の権利を守るため、労働組合員の同席で行われる。すでに同席を同僚にお願いしていたのだが、当日私はそれを断り、一人で面談に臨んだ。

形式的に「次の理由であなたを解雇します」というおそらく弁護士と練った文章を読み上げる社長と人事担当者を遮り、私は次の言葉を言い放った。

「あのう、そこまでして私を解雇したいのはよくわかりました。でもこれらが嘘だというのはご存知でしょう。実は私は妊娠しています。法律上解雇できません。診断書をご覧になりますか?もしも解雇されたいのなら、これから賠償金の交渉を始めてください。」と。

折りたたんだ診断書の紙を開いて見せようとする私を社長が遮った。「いや、見せなくていい。それより、大事な時にストレスを感じさせてしまってすまない。」長らく私を敵対視してきた社長から出てきた初めての思いやりのある言葉だった。その言葉で、やっと対等に話ができると思った。その後は、私の優位で交渉が進んだ。その時のタイミングで私たちの所に来てくれた娘はまさに救世主そのものだった。今思い返しても、偶然と必然の妙を感じる。

ただ、これらのやり取りの実情については何の記録も残らず、もちろん同僚たちは知る由もなく日々が過ぎていた。そういえば、リストラがあったのも11月くらいだった。冬の寒さとつわりの感覚、何かに守られているという確信、自分が正しく新しいことに向かって進んでいるという想い、なんかそんなようなこと達が入り混じった想い出がよみがえる。

つながった同僚のお陰で、10年前から変わらず勤めている同僚たちが沢山いることを知った。当時の駐在員はとっくに日本に帰っているだろう。年末にパリに行くついでに彼らの顔を見てみたい。

雪国暮らしの雪辱

ここは雪国だ。日本の東北地方のような豪雪地帯ではないけれど、標高も高く頻繁に雪が降る。今年も11月の初めから雪が降り始め、車のタイヤを冬用に急いで交換してもらった。山の天気は変わりやすいので、晴れ間が見えれば雪はさーっと溶けてなくなることもあるので、冬の間ずっと雪があるというわけでもない。

さて、雪国暮らし2年生となった私は、去年初めてのことだらけで苦い思い出ばかりの雪シーズンを楽しく乗り切りたいと密かに心に決めている。去年は引越してきたばかりの1週間後に大雪が降り始めた。しかし、自分はともかく子供たちに雪用の防寒具はなく、防水でないダウンジャケットはいつもびしょびしょだったし、靴も雨用の長靴しかなかった。娘は長靴も持っていなかったかもしれない・・。まだ車で自由にあちこち行けるほど運転に慣れてもいなくて、もちろん雪道の運転なんかほぼ未経験だったし、そもそも子供用の洋服がどこで買えるのかも知らなかった。今思えば、近くの非営利団体のチャリティーショップでは古着が売っていて、1シーズンしか着ない子供の服なんか手頃に手に入ると知ったのは、ずっと後からで、もっと周りの人に聞いてみたらよかったのだけど・・。そこでAMAZONやら通販サイトで子どもたちの冬用グッズを一式揃えたのだった。

私や夫はこれから届く船便の中に長靴やスノーブーツが入っているからと、履いてきたスニーカーで年末までなんとか凌いでいた。思い出すとやはり惨めだった。

程なくして、2台目の車を手に入れて、私も子供たちの送り迎えに車が使えるようになった時。私はオートマしか運転できないので、夫が苦労して手に入れた予算内のオートマ車の性能はまあそれなりで、坂道を上る馬力が足りない。ちなみに山間部の集落であるこの辺りは坂道だらけ。その冬「雪道の登坂で止まると車は登れなくなる」ということを私は初めて知る。何度もアクセルをふかし、タイヤは空回りし、冷や汗をかきかき、怖い思いをしたこと数知れず・・。ただ、田舎の人たちはいつも手を貸してくれて車を押してくれたり、代わりにハンドルを取ってくれたり、何度も助けてもらった。

昨日、本降りになった雪を見て、夕方のお迎えに備えて駐車場から車を外に出しておこうと外に出た。我が家の駐車場は下った所にあるので、雪が降ると駐車場から車を出せなくなってしまう。これは去年学んだので、本降りになる前に幹線道路に路駐するというのがこの辺りの流儀なのだ。

2年生なりに気を利かせたつもりが、時すでに遅し、駐車場から出る坂道でタイヤは空回り、アクセルをふかしたとたん車体がクルっと1周向きを変えた。パニックになった私は駐車場に戻ろうとバックにギアを入れてアクセルを踏んだら、入口の塀にドンっとぶつけてしまった。完全にあわわわ・・状態の私に、近所のおじさんが声をかけてくれる。「ブレーキを踏まないで後ろ向きに一気に上ってごらん。あとはハンドルをとれば勝手に滑ってくれるから・・」と。でも自信喪失の私はおじさんに「すみませんが、私の代わりにやってもらえませんか?」と運転を代ってくれと懇願してみた。するとおじさんは「あー代ってあげたいんだけど、僕運転しないから・・」と。また頭の中が?だらけになった私に「前から押してあげるからアクセルを踏んで」と引き続きアドバイスをくれたので、言われた通りにやってみたら、事なきを得た・・。ぶつけた場所もバンパーだったので無傷だった。

車を動かすついでに郵便局に行こうとしていた私は、車を元の駐車場に戻して、多少動転したまま郵便局まで歩き出した。郵便局で用を済ませてポケットに手を入れるとあるはずの家の鍵がない。唯一のフード付きダウンジャケットのポケットがホックで止めるタイプで、雪道を歩くと物が滑り落ちるのだ。去年もそれで携帯を落として壊したのだった。携帯は家に置いてきたし、これで鍵がみつからなかったら、私はどうするのか・・と吹雪の中また頭が真っ白になる。とにかく来た道を凝視しながら帰ると、家の前に鍵が落ちているのを発見した。

と、雪国2年生はまた苦い幕開けとなった。まずはポケットがちゃんと閉まる雪用の防水ジャケットを買おう。スキーウェアを普段着にしている村人もたくさんいるけど、私にとっては「それはちょっと」な感じなので、ニューヨーカー的な機能的でおしゃれなやつを探そう。それから雪が降りはじめたら駐車場から車は早めに出そう。それから、困ったときは周りの先輩たちにアドバイスを仰ぎ助けてもらおう。

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廃校アート体験 ~その2~

近くの廃校でのコンテンポラリーアートの展示の続き。

 tkchbn.hatenablog.com

 こちらの展示会場では、アーティストの女性(おそらく30代後半くらい)が住み込んで随時展示を増殖させたり、配置を変えたりと、何回来ても違った展示になるように工夫がされている。そして、ここは住民たちが集い語らい、食事をしたり、時には家にある物を持ち寄って展示品に加えてもらったり、ワークショップが開かれたりと、常に流動的にこの地に存在している。

ある週末にメインの展示である黒焦げたピアノのコンサートがあるというので、家族で参加した。普段は展示品なので手を触れることはできない。演奏するのは私たちの友人の一人。そして夫もトランペットで参加しないかと誘われていたのだ。

演奏はまったくの即興。黒焦げたピアノの鍵盤は動かないものもあるので、中の部分(なんと呼ぶのだろう・・?)を直接棒で叩いたり、紐でくくって引っ張ったり。部屋を暗転にして、演奏が始まる。子供たちは暗くなっただけで、目を輝かせて音に耳を澄ませてその空間を楽しんでいた。

友人の演奏はものの5分で終わり、その後は自由にその場に居合わせた人たちで演奏を楽しんだ。3歳の息子と同じ歳の友人も、黒焦げのピアノを手を真っ黒にして触り音を出す。10歳の娘はトランペットで恐る恐る音を乗せてみる。夫はドラムのようにピアノを叩く。マラカスを振ってリズムを取る人。

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みんなで暗がりの中、黒いピアノを囲んで、息をのむように、音を作り上げていく。この即興タイムも長くは続かず、夫はもっと演奏したいと残念がっていたが、その場にいた人たちと共有し作り上げた音楽は今でも耳に残っている。この出来事はずっと私の中に残るだろう。この廃校を訪れる度に思い出すんだろう。

今日は雪が降っている。ここではないどこかに来てもう1年経つ。