ここではないどこかから

ここどこ。フランス田舎町暮らしの中で想うこと、育児・食べること日常のこと、もっとほんわりした括りの雑感を綴りたい。

息子の幼稚園入園にフランス少子化克服について考える

この度、めでたく3歳の息子が幼稚園に入園した。フランスでは幼稚園は「保育学校」と呼ばれ、3歳になるとほとんどの子が入学する。義務教育ではないものの、学費は無償。週に4日間、朝8時半~夕方4時半までというのが一般的な時間割らしい。

本来は9月が学校の年度初めなので、息子は半年前に入学できたのであるが、2歳半に渡仏しまだまだフランス語をうまく話すことができなかったので、お勉強を始めるにはハードルが高いのではないかと思い、半年入学を遅らせた。今は半年前とは違い「何がしたい」とか最低限の意思表示ができるので、遅らせて正解だったと思っている。

この「保育学校」は、親にとっては実に有難いシステムだ。3歳までは育児休暇や保育園、保育ママやベビーシッターなどを利用して何とかやり繰りをし、3歳になればほぼ全員が無償の学校に進学する。フランスの保育園事情は、日本と比較して決して恵まれているわけではない。パリなどの都市部では、なかなか空きがなく入れないので、育児休暇を取ったり、保育ママを利用したり、親が共同で保育する保育園などを活用したりと、事情は日本以上に厳しいケースもある。こうしたサービス利用に際しても、ある程度の補助は出るけれど、持ち出しもそれなりにある。

我が家は田舎にあるので、保育園の空きもそこそこあり、私のように就労していなくても週に何日かは預け先を確保することができた。以前に働いていた頃のように、どうしても必要だったわけではない。しかし、1日中息子と二人きり、知り合いもなく、出かける場所もない地方の村に来た私にとっては本当に有難いライフラインの一つだった。

以前にも書いたテーマだが、日本の少子化対策については、なにかと保育園の待機児童の問題に目が行きがちだ。

 

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もちろん、日本で待機児童対策は喫緊の課題ではあるのだけれど、フランスは保育園など3歳未満の保育システムにおいて決して日本より優れているかというと、そうでもないということが分かる。では、フランスはなぜ少子化を克服し、今もなお出生率を上げているのか?という疑問が自然と沸いてくる。

パリの書店へ行ったとき、ちょうどそんなテーマの本がいくつか並んでいたので、そのうちの一冊「フランスはどう少子化を克服したか(新潮新書)」を読んでみた。

 

フランスはどう少子化を克服したか (新潮新書)

フランスはどう少子化を克服したか (新潮新書)

 

 著者はフランスが少子化を克服できた様々な要因を実際にフランスで育児をする母親としての視点からまとめている。その中で、保育園やその他の保育サービス、保育学校の制度などについて詳しく書かれていて、初めてフランスで子供を学校に通わせる私にとってはとても有難い情報だった。著書の中で著者は少子化が克服された要因の一つに、3歳になればほぼ全員が入学でき、無償の「保育学校」の存在が大きいとしている。都市部では日本並みに保活状況は厳しいけれど、3歳までなんとかすればよいからだそうだ。

3歳までは、保育園に入れなくても保育ママやベビーシッターを活用するのが一般的なのだが、費用負担についてのデータが掲載してあった。公的な補助を差し引いて、月額は保育園:4万5千円、保育ママ:7万5千円 個人ベビーシッター:16万9千円、共同シッター:5万4千円とある。日本と比べても費用面でとりわけ恵まれているわけでもなく、若い夫婦にとってはそれなりの負担に感じるし、ベビーシッターはほとんどの家庭に選択肢はないだろう。

日本だって、3歳児は待機児童の数もだいぶ解消され保育園入園のハードルは下がる。それに、その他の公的な制度や補助もフランスと比較してもそこまで劣っているとは思えない。

ではなぜフランスでは子どもが産めて日本では産めないのか。著書の中では、父親の育休取得率の増加とか、無痛分娩を含めた出産費用が保険カバーされること、保育園では持ち物がなく親の負担が少ないこと、などなど様々な日本のとの違いが挙げられていて、それぞれに納得もするけれど、やはりそれだけではない大きな違いがあると感じる。

私自身、長女を日本で育て、二人目を出産した9年間を日本でなく、フランスに居たら、もう一人産めたかもしれないと思うことがある。それは何より子供を1人にかかる学費の違い。もう一つは、働き方の違い。もう一つ挙げるなら、子どもを社会が育てるという意識の違いだ。

フランスでは大学まで学費はかからない。もちろん私学に入学させる親もいるけれど、すべて公立で質の高い高等教育を受けられる扉がより開かれている。また、労働時間が35時間制なので、たとえ両親が共働きであっても、女性が育児が家事を回し、男性は昇進のため残業を強いられるような構図にならない。実際、35時間制の導入で、男性が早く家に帰れるようになり、子作りの時間が持てるようになったという話は、私の周りでも囁かれていたっけ。

そして、自己責任で子供を産み育てよという社会の目はフランスにはない。例え一人親であっても、産まれてきた子供は社会で育てようという姿勢が根本的な違いにあると感じる。だから仕事をしていなくたって、一人きりで子どもみているのは大変でしょうと、保育園が息子を預かってくれるし、何の引け目も感じなかった。一方で日本では保育は本来家庭でするところを、やむなく預ける先として保育園がある。

まとめると、日本の少子化克服の鍵は、子育て政策の充実に加えて、「大学までの学費無償化拡大」と「労働時間35時間制の導入」でいいんじゃないかと思う。

年末までお世話になっていたすでになつかしい保育園。日本の保育園との違いを次回こそ書いてみたい。

 

クリスマスの嫁業務からのパリ上京のことなど

こちらに移住してきてから、夫の家族と過ごす2回目のクリスマス。結婚前も何度か、また日本に住んでいた時もバカンスでクリスマスには来たことがあるものの、この家族行事に臨むにはちょっとした気合が必要だ。義母はとても気さくな性質だし、普段から嫁姑関係のストレスはないものの、夫の姉家族も加わるとなんとなく一気にアウェイな環境になる。まず、嫁ということが一つと加えて外国人の嫁であるということだ。

結婚してすでに10年以上過ぎ、当初に比べて不要な心配もストレスもさほど感じないのではあるが、でもやはり気合いを入れて向かったのだった。

去年から最年長の甥っ子(17歳)が会の途中から抜けてサンタクロースに変装してみんなにプレゼントを配るというのが恒例となった。変装サンタクロースに驚くのは3歳のうちの息子だけで、他の子供たちは十分大きくなってしまった。恒例といえば、食べ物の好き嫌いの激しい義姉の子供たちは、高級な食材もちょぴっと手を付けてお皿のはしっこに。いつもそれをイライラして見ている夫。子供たちへのプレゼントに音が鳴るプレゼントなんかがあると、子供たちが喜んで遊んでいる横でイライラする大人たち・・。スマホを片時も話さず、別の部屋に早々に移動して遊び始めるティーンエイジャーの姪っ子と娘。みんなの話が盛り上がっても、ひとりぽつんと押し黙っている義父。なんでも自分が中心でないと機嫌が悪くなる義姉。何の責任もないのだけど、このカオスな感じが無事に終わりますようにと冷や冷やとしている私。

そんな1年の最大の嫁業務を完了して、今回はパリへ上京した。7年ほど住んでいたパリを離れたのは10年前。息子と夫と3人で、パリ郊外の友人宅へ滞在させてもらった。

田舎暮らしで電車に乗ることもないので、地下鉄を乗り継いで街へ繰り出すところからすでにパリ!とワクワクしていたのだが。やっぱり臭くて不潔なメトロ。ホームレスの人たちも沢山いて、忘れかけていた花の都じゃないパリが一気に蘇ってきた。長いこと住んでいたのに、10年経った私の頭の中には「パリは花の都という幻想」が再び刷り込まれていたらしい。

メトロの座席で隣に居合わせた移民の(言葉がなまっていたので)おじさんが、懐からおもむろに風船を取り出し、膨らませ、息子にくれたり。車内のアコーディオン弾きのおじさんが子供のためにジングルベルを演奏してくれたり。子どもを持つ前は知らなかった違う町の顔を見ることもできた。

夫と交代で、一人フリータイムを設けて、ぶらぶらする時間をもらった。私が真っ先に向かった先はオペラ界隈の日本食品店と日本書店。そして折り紙や和紙などの専門店。在パリの旧友とラーメン屋さんで食事。結局、日本への疑似帰省みたいな感じになってしまった。

あんなことこんなことあったでしょう・・と、パリでの思い出をぽつりぽつりと思い浮かべながら、一人歩くパリはやっぱり良かった。日本で「ここではないどこか」に憧れていた私が味わった街。日本人が想い描くパリとは全く違って、かなりの衝撃は受けたけれど・・。

フランスやパリへの幻想というのは、万国共通なんだろうか。日本書店に立ち寄ったときに、「フランス人は10着しか・・」の類の本が腐るほど並んでいた。作者はアメリカ人やカナダ人、または日本在住のフランス人もいた。中には「フランスの子どもは夜泣きをしない」とか「フランスの子どもは好き嫌いをしない」なんてとんでもないタイトルの本もあってげんなりした。そんな都市伝説みたいな内容の本を日本にいる日本人ならまだしも、在仏の日本人が手にするんだろうか。

私だったら「フランス人は服をなかなか捨てない」「フランスの子どもだって夜泣きするにきまってる」「私が知っているフランスの子どもはだいたい偏食」ていう本を書くのに。

私が10代でパリに抱いていたイメージはこんな感じだったなあ。

ベレー帽にボーダーのかわいい男子なんていやしない。


YOUNG, ALIVE, IN LOVE - 恋とマシンガン -(M.V.) / FLIPPER'S GUITAR

#子育て政策おかしくないですか 日本の保育園

最近、保育園無償化の動向についてネット上で情報を追いかけている。ハッシュタグ #子育て政策おかしくないですか を追うと多くの子育て世代が声をあげているのがわかる。個人的には、もう日本の保育園に預けなければならない事情もないのだけれど、他人事とは思えない、ほっておけない想いが沸々と沸いてくる。

私が日本の保育園事情の厳しさに直面したのは、10年前。フランスから東京へ、夫とともに生後間もない娘を連れて移住した時だった。私はすぐにでも就職したかったので、資格試験の勉強をしていた夫に娘を見てもらってとりあえず派遣職員として就職した。そして夫も外に働きに出られるようにと0歳児保育に申請した。そこでポイント制なる制度を始めて知った。フルタイム勤務者の親にそれぞれ満点。パートタイムは減点。自営業も減点。学生も減点。すでにどこかへ預けていると満点。今自宅で育児をしている親は減点。家庭に介護者がいると加点。75歳未満の両親と同居していると減点。

というもので、我が家の点数は満点にはほど遠いものだったが、娘を預けなければ生活が立ち行かなくなるというシナリオは現実に迫るものだった。ポイント制は今も多くの自治体が採用している基準だと思う。

申請書の空欄に海外から帰国したばかりで生活基盤がないこと。両親の就職は喫緊の課題であること。などを小さな字でぎっしり書いて出したのを覚えている。こうすれば事情を汲んでくれるのではないかとかなり楽天的に構えていた。しかしながら、結果はやはり不採用で、通知書を持って市役所に相談に行ったのを覚えている。そこで初めて認証保育なる制度も知り、何とかリタイヤした保育士さんが運営しているとても家庭的な園にお世話になることができたのだった。

そこからまた実家近くに引っ越しをすることになった。すると自治体が変わり、待機児童として並び直しになった。当時は各園の該当するクラスに50名以上の待機児童がいた。仕方なく認証保育園に預けたが、その園では保育料に補助が出る代わりに、給食代、年2回の冷暖房費、入園料、延長保育料と私の時短勤務の給料の半分ほどが飛んでいった。ワーキングプア、働けば働くほど首がしまっていくとはこのことだと、なぜ日本に帰ってきてしまったのかと後悔もした。ただ、これも認可保育園に入るまでの一時的な出費だと腹を決めていたのを記憶している。

そして、娘が2歳になったころ、近所に認可保育園が開園するという話をたまたま聞きつけ申請したところ入園できることになった。娘の保育環境より、何より保育料負担の軽い「認可保育園」に入れることが最優先事項だった。近所といっても自転車で10分。雨の日は雨具を着せたり、車を取りに戻ったり、両親にお迎えを頼んだり。その保育園は保育士の先生方には本当によくしてもらったのだけれど、もしも選ぶことができたのなら選ばなかったというのが本音だった。今でも娘の保育園の想い出は強烈に残っている。

その園は認可保育園であるけれど、私立園であるということから、独自の保育方針を前面に押し出していた。1月に開園した園なのだが、冬の真っただ中に「半そで半ズボン裸足保育」というのである。子供の病気は勤務状況にかなり影響する。ただでさえ綱渡りの有給休暇や病児休暇に、変なリスクを負いたくない。日中はほとんど外で遊ばせるという。まだおむつもとれていない娘が鼻水をたらしながら寒空の下、半そで裸足で砂場で遊んでいる様子を見ていて本当に切なかった。その冬はよく熱も出したし、風邪もひいた。一度病み上がりに「今日は風邪気味なので、外で遊ぶときは上着を着せてくださいますか?」と頼んだところ、主任の保育士の先生が現れて「保育方針が合わないということなら、他の園へ」と言われた。藁をもすがる想いで入れた認可保育園でもどうしてそんなくだらないことで闘わなければならないのか。他の親は何も思わないのか。と憤り、市役所の保育課へ相談の電話をかけたのを覚えている。結果、市から指導が入り、薄着で過ごすかどうかはその日の体調や親の判断で決めてよいことになった。その園とは、その後も保育方針を巡って、何度か園長や主任保育士とバトルをした。

他にもこの園は行事が多かったし、家庭訪問もあった。持ち物もかなり細かく指定されていた。お昼寝用シーツなどは手作り。おしりふきは禁止で、布おむつをお湯で濡らしたものを使用する。外遊びが多いので毎日の洗濯は上下3着ずつくらいあった。

けれど、主任の先生が辞める時に、「一生懸命になっていたばかりに、いつも一方的に園の方針を押し付けてしまっていたかもしれません。ごめんなさい。でもお母さまのように声をあげてくれる方がいて、園も少しずつ成長しています。ありがとうございます。」と頭を下げられて、二人で涙を流したのだった。

現場の保育士の先生も激務の中、細かい指導方針やルールに縛られ必死だったのだと思う。週末の保育以外の行事も多かったし、先生達もそういえば冬は半そで裸足だった。結果、毎年毎年職員は変わり、入園から卒園までずっといた先生は1人くらいしか居なかったのではないだろうか。主任の保育士さんも保育士を守りきれない不甲斐なさがあったはずだ。

娘が保育園を卒園したのと入れ替わりに、息子が保育園に入ることになった。ポイントは夫婦ともに満点。満を持しての申し込み。実はその頃、住んでいた自治体は猛烈な勢いで保育園を増設し、待機児童ゼロを実現していた。息子の時には2-3園を見学し、娘の時の二の舞は踏まないと、保育方針などを吟味して、自宅から徒歩圏内に3園も希望を出すことができた。しかも、第一希望に入ることができた。

その園は預けていて親のストレスが少なく、親の負担を最小限に抑えてくれていることが分かった。着替えもほとんどなく、洗濯は驚くほど減った。通常、検温で37.5度を越すとすぐに迎えに来てください!と言われる園がほとんどなのだが、その園は37.5度以上で連絡と様子見。38度以上で呼び出しみたいな緩和ルールがあった。行事も年に2回ほどの最小限。園長は保育学会などでも活躍してる人で、保育士、保護者、子供のそれぞれがwin-win となる保育を目指していることが分かる。何よりも自宅から徒歩圏内で、送り迎えの負担が激減した。

それでも、ワーキングマザーの事情はかなり厳しい。延長保育を使っても、都心までの通勤に片道1時間以上。時短勤務をしなければ回らない。管理職にもなれなかったし、海外出張も断らなければならなかった。年4日の無給の病児保育休暇を1時間ごと細切れに使っても、有給休暇は一日も余らなかった。小学校に入った娘の授業参観などの行事にも全部は出られない。毎朝5時に起きて、夜ご飯の下ごしらえをして、夜は子供たちが寝静まってから洗濯物を片付けて。すぐに子供たちの病気をもらって体調を崩した。勤務時間が違う夫は掃除などサポートしてくれたけれど、ほぼワンオペ育児だった。思い返せば青春時代の部活のように、清々しく駆け抜けた日々ではあったけれど、職場環境についても、保育園についても、絶対にもっとよい方法があったはずだと思う。

まずは、必要な子供が保育園に入れるということが最優先。移転した人も前の待機時間が移行されるべきだ。そしてその預け先に選択肢があれば尚良い。保育園はあくまでも親が働くのをサポートする立場であって欲しい。子供が安心して楽しく過ごせる場所なら何も特別なことはしなくてもよいと思う。そして保育士さんの負担を軽くし、報酬面ではもちろん、専門家としてやりがいを感じることができる職場であって欲しいと思う。

ポイント制を採用している自治体では、すでに保育園に入ることができているのは、両親ともにフルタイム勤務で所得が安定している世帯がほとんどだ。彼らは無償化を望んでいるのか。無償化だから子供を産もうという気になるのか。そもそも保育園に入れないのなら産む気にもなれないし、働き育てることもできない。政府の保育園無償化政策の的外れなことがよく分かる。そしてこの子育て政策で何より重要だと思うのは、当事者以外を巻き込むことだ。私はもう当事者ではないけれど、働きながら産んで育てるという当たり前のことがこんなにも難しい社会に目を向けていたい。

次回はフランスの保育園事情について書いてみたい

共通点

フランス語ではこんにちはのご挨拶のときに、英語のHow are you?同様、「元気?(Ca va? サヴァ?)」と聞くのが普通なのだが、日本語では毎日の挨拶でそんな風に相手の調子を気遣うような挨拶はしない。久しぶりに会った相手なら「お元気でしたか?」とか「最近調子はどうですか?」というシチュエーションはあっても、毎日会う職場の人や近所の人に「今日は元気?」という距離感はないような気がする。

で、私はいつもこの「元気?」の質問を投げかけられると律儀に考えてしまう。もちろん、何事もなく元気な時は問題ないのであるが、調子が良くない時は「ちょっと調子悪いけど、あんまり調子よくないっていうと、理由を話さなくちゃいけないし、まあ元気ってことにしとこうか・・。」みたいに、相手によって「元気?」の答えを変えている。

なぜ、この話題かというと、先日の事故の後、道で会う人々に「元気?」と聞かれて「いやあ、実は事故してしまって・・」と、相手を選んでこぼしていた。相手はほとんどが女性。おそらく話したのは4~5人だと思うけれど、ほぼ全員が「私も同じことあったよ・・」というリアクションだった。中にはまだ赤ちゃんだった娘と一緒で未だにトラウマだという彼女や、去年スリップして車が大破してもう乗れなくなった彼女や、子供たちの冬の送り迎えはもう夫に一任しているという彼女。情けないと凹んでいた自分の肩の力が抜けたのは、共通点があった彼女たちのお陰だった。

SNSを通じて知り合った共通店を持つ彼女達。同じく田舎で仕事がないので、手作り品をネットで販売している彼女。フランス在住ではないけれど、フランス人の配偶者がいて、同じく海外で和テイストのアクセサリーを作っている彼女。

人と違うことに誇りを感じることももちろんあるけれど、同じ環境や境遇、同じ体験を共有できる人たちに支えられているのだとつくづく。ここかしこに、そんな出会いがあることに感謝して。

分かり合うのは「喜び」だけではないけれど、今日のテーマソングはこれ。

喜びを他の誰かと分かりあう! それだけがこの世の中を熱くする!

立ち止まり 息をする 暖かな血が流れていく

心の中でずっとキラキラ弾ける!

...

唾を吐き 誓いたい!それに見合う僕でありたい!

しびれっぱなしの手のひら! 鼻水出りゃこすりながら!

痛快に降る雪の中歩いてく!

「痛快ウキウキ通り」小沢健二


小沢健二 - 痛快ウキウキ通り

 

 

事故の顛末とクリスマスマーケット

スリップ事故から数日。皆さんの励ましのお陰でだいぶ持ち直してきた。(ご心配をおかけした皆様ありがとうございました。もう大丈夫です。)ただ一つ問題が。長く日本に住んでいた私たち家族が車をフランスで持ったのは初めてのこと。フランスではオーナー歴に応じて保険料が決まるらしく、偉く高い保険料を払わされていると夫から聞かされていた。しかも2台一度に持ったため、車両保証をけちっていたらしく、車の修理代はカバーされていなかった。修理業者から聞かされた金額に開いた口が塞がらない状態にある。けがもなく無事でよかったものの・・・ものの・・もののである。

渡仏してから無職の私。何度か就職も考えたけれど、この田舎町で外国人の私ができることは本当に限られていて、そんなことを言い訳に未だに充電期間。というか、やはり雇われて働くこと自体を半ばあきらめている。

さて、ここに来たばかりの頃、娘が学校のお友達から誕生日会に誘われた。田舎なのでプレゼントが買えそうなお店もなく、持っていた折り紙で小さな折り鶴と風船を折り、透明マニュキュアで固めてピアスにしてプレゼントした。クラスではたちまち評判になり、友達のママの方が気に入ってつけてくれているという。

そこで、ちまちまと空いている時間に折り紙でピアスを作り始め、ある程度作品がたまったところでEtsyというネットショップで売り始めた。それがちょうど1年前。口コミで知り合いの間にじわじわと広まり、ネット上のほかにもアクセサリーの注文をいただいては作って差し上げたりをしていた。

そして、昨日、地域主催のクリスマスマーケットが開催され、そこへの出店を打診されていたので、ぜひにと申し込んだ。車で事故を起こしたのが、このクリスマスマーケットの数日前。夫に私の貯金から少し修理代を出すと申し出たものの、心優しき夫はまだ収入のない私を気遣い、「クリスマスマーケットの売り上げを折半して、それを修理代の一部に充てよう。」と言ってくれた。車の保険料も払っていない私には、「なんで最初から車両保証つけてないのよ!」なんて強気な文句は言えるはずもなく。

と、1年越しでちまちまと作っていた折り紙アクセサリーの初の対面販売に臨むことになった。売り上げには車の修理代がかかっている。しかし、ここのところ大雪続きのため、客足はまあまあ。そして、他にも手作りアクセサリーを扱うブースが数店。売れると見込んで大量に作っていたラインはあまり売れず。何よりも失敗したのは、一目で「折り紙」ということが分からないため、他のアクセサリーショップ同様チラ見しては去られてしまうということだった。と苦戦はしたものの、知り合いのママさんや友人たちのお陰でまあまあ売り上げることができた。

やはり対面販売はネット販売の比にならないほど効率がよい。この手の手作り市に定期的に出店すれば、定職には及ばなくても収入ができるので、出店の条件などについて陶芸をしている友人に詳しく話を聞いたりして調べてみたりしたことがある。出店にはmicro-entrepriseといって自営業の登録をし、相当の保険などに加入する必要があるということがわかった。彼女曰く、書類を送れば登録はできるというので、それについてもリサーチをしてみたら、法律が変わって数十時間の研修を受ける必要があるという。ただ、その研修を受けるには事故をした峠を越えた町まで行く必要があり、雪がおさまる春までお預けとなりそうだ。不器用な私がアクセサリー作家として起業する。まったく1年前には想像していなかったシナリオではあるけれど、少しワクワクしている。

 写真は販売商品の一部。

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ついにスリップ事故

雪国暮らし2年生を頑張るつもりでいたのだが、昨日ついにやってしまった。車のスリップ事故。私の銀行口座は以前パリで暮らしていた時から持っているもので、ここの田舎に支店がない。そこで銀行の用事は山を越えて30キロほど先の町へ出ていかなければならない。昨日の午後からずっと雪の天気予報だったため、峠越えをするなら今日しかないなと思い、学校が休みの子供たちとのショッピングを兼ねて出かけていった。

住まいの近くではまったく路面に雪はなかったのだけれど、山道を進むうちに路面がシャーベット状になっているところがでてきて、かなり慎重に運転をしていた。隣町について用事を済ませ、子供たちとお寿司を食べて、服を買ったりしてとても楽しい気分で帰路についたときその事故は起きてしまった。

子どもたちは満腹で二人とも眠っていた。私は難所の峠道をなんとか上りきって後はもう大丈夫という気持ちでまっすぐな道を走っていた。後ろから2台ほどついてきていたので、本当はもう少しゆっくり走りたかったけれど、60キロから70キロくらい出ていたと思う。昨日調べた限りだと、アイスバーンはまっすぐな郊外の道で起こりやすいという。まさにそのケースだった。

まっすぐな道のなるべく轍の上を走っていたら、急に車が横滑りした。あとはもうわけが分からずハンドル操作も効かないまま対向車線にはみ出て1周して側溝にぶつかって停まった。後ろから来ていた車はそのまま通り過ぎていったと思う。車は後輪が側溝にはまり、前部分のカバーが外れていた。ライト関係は無傷だった。寝ていた息子はびっくりして泣き喚き、娘は動転していた。とりあえず子供たちの無事を確認して車を出ると通り過ぎる車に手を挙げて助けを求めた。後ろから押してもらえばまた走り出せると思っていたのだと思う。たまたまいつもうちに郵便小包を届けてくれる郵便局の女性が通りかかった車から降りてきた。彼女が保険屋に電話をかけて、レッカーしてもらいなさい。という。分かったといいながら、まず夫に電話をかけてみたが、昼休み中で出ない。仕方なく車に備えてあった保険会社に電話をかけるとスムーズにレッカー出動の番号をくれて、そのやり取りも、ものの5分で終わった。その間も、たくさんの人が心配して様子を見に来てくれた。

ある女性が「レッカー車が来るまで一緒に居てあげましょうか?」と言ってくれたとき、それまで堰き止めていた気持ちが決壊して、涙がこぼれてきた。

ああ、子供たちを事故に巻き込んでしまった。もっとゆっくり走ればよかった。そもそも銀行なんか行かなきゃよかった。一人で来ればよかったと自責の念が沸き出てきては止まなかった。その見ず知らずの女性は大丈夫よ。と困ったような顔をして、私の肩をさすってくれた。

「もう大丈夫です。レッカーを待ちますから。ありがとう。」と涙をぬぐい気を取り直して傾いた車の中で子供たちと落ち着いて待つことにした。レッカーが来るまでおそらく20分くらいだったかと思う。1分置きくらいに通りすぎる人たちが車を停め、大丈夫かと声をかけてくれた。子供たちだけでも家で預かろうかとおじさんが申し出てくれたりした。優しい言葉をかけられる度にまた泣きべそをかいては、気を持ち直してを繰り返していた。その後、レッカー車のトラックに子どもたちは喜々として乗り込み、修理業者まで駆けつけてくれた夫と一緒に帰路についた。

夫には何度も何度も君のせいじゃない。どうしようもなかったと慰めてもらったけれど、一日経った今も、情けなさと有難さで揺さぶられている感情をやり過ごすしかない。今朝も家を出たら毎朝挨拶を交わす女性が居たので、昨日の顛末を話したら、みんな経験することだから大丈夫よと慰めてくれた。まだまだ冬は始まったばかりなのに。今は弱音を吐くことが立ち直りの一歩らしい。

フランスのトイレない問題

週末は義母と姪甥の合同誕生日会のため夫の実家のあるリヨンへ。せっかく都会へ行くのだからと、いつも街へ繰り出すのだが、ただでさえ人混みの激しい週末にブラックフライデーなる催しがされていて、どの店も足を一歩踏み入れるたびに「やめとこか・・」と退散し、結局ぐるぐる歩き回っただけに終わった。

しばらくすると息子がトイレトイレと騒ぎ出した。店にトイレがないフランス。場末な感じのカフェに駆け込み、家族4人分の飲み物を頼んだらとってもお高くついたトイレ代になってしまった。夫は頼んだビールが生温かったと憤慨していた。しかも同じような目的の小さな子供連れの家族が数組居た。

田舎ならば、子供は自然の中で用を足してもらってもまったく問題ない。特に男の子を持って初めて知ったが、男子は楽なもんだなあと、女子の立場からすると嫉妬さえ覚える。

普段の田舎暮らしではそう不便にも感じていなかったけれど、都会を歩いて回るとほんとうにトイレ問題が深刻。その昔、パリで妊婦時代に散歩途中に使えるトイレは熟知していた。マクドナルドはレシートにある番号コードをドアについている機械に打ち込みロックを解除する仕組みだし、デパートにもトイレはないし、公衆トイレは使えるレベルではないので問題外。当時は、まだフランスにできて間もなかったスターバックスのトイレや大き目の映画館の入口そばにあるトイレが私の御用達だった。

ご存知の方も多いけれど、パリのメトロは尿臭がすごいし、地下道とか地下にある駐車場なんかも同じにほいがする。外に公共トイレがないのだから、ホームレスの人たちにはそうするしかないからだろう。

と、昔のことを振り返っていたら、ある光景を思い出した。まだパリに来て間もなかった頃の冬のある日、地下鉄のホームで電車を待っていたら、向かいのホームにいたご婦人がおもむろにスカートをたくしあげ、しゃがんでおしっこをしていた。ホームには結構人が居て、周りの人たちも「オララー」とか言っていたような気がする。ただ、その時はまだフランスに来て間もなくて、フランスならそんなこともあるのか・・と、ショッキングな出来事を自分の中で処理していた。未だにあれは現実だったのか定かでない。その昔見たゲンズブールの映画で、ジェーン・バーキンがそんな風にしてるシーンを見たからだろうか。

トイレのことを心配しなくてもよい日本の町が好きだ。空港に着いたときから感じるなんともいえない安堵感。「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」の嫌味な張り紙も、ほんとうにみんなのお陰だと感謝の気持ちさえ沸いてくる。


Je t'aime moi non plus (1976) Trailer - Bande Annonce